一本・後篇






「どういう事だ・・・」


小十郎は、ぼんやりとぬかるみに立ち尽くしていた。


「ここは、どこだ・・・・・・」


視界がはっきりとしない。

感覚などとうに忘れたはずが、昔の記憶で錯覚をする時がある。

今も、頭の奥に痛みが走り、肩には冷たい雫が滴って全身を凍り付かせているように感じた。


ここは地獄なのかもしれない。ふとそんな考えがうまれる。


主を天下人にさせる為にと、沢山の命を散らせた。

それを正当化するつもりはなかったし、元より地獄に行く覚悟を決めていた。


現に繋ぎとめられていた魂の次の行く先は、そこ以外に思いつかなかった。


「政宗様・・・」


本当に地獄ならば、随分生温い。

大切な人の名を口にできる事は、それだけでも救われるし心の拠り所となる。


だが、いよいよ足と地面が凍り付いてしまったのか、足を持ち上げようとしてもぴくりとも動かせなかった。


「・・・・・・っ」


自由を奪われ、本能的に動こうとするが思うようにいかない。

諦めて膝をついてしまおうかと思っていたところに、明瞭な声が頭に響いた。


「おい、アンタ!」

「・・・っ?!」


その途端に、固まっていたはずの脚がガクリと動いた。

声の主の足音が近づくにつれて、視界が少しずつ晴れていく。


地獄かと思った場所は、なんのことはない、いつもの自分の墓の前だった。


繊細な音をたてて雨が降りしきる中、輪郭こそぼんやりとしていたが、目の前には政宗が立っていた。


長い間雨が降っていたのか地面はぬかるみだらけで、政宗が歩いてきた足跡もしっかりと形を残している。


「大丈夫か?気分が悪いのか?」

「・・・どう、して・・・?」


ようやく焦点のあった瞳で政宗の顔を見やる。


「・・・昨日の今日でなにしに来たかって?」


政宗の言葉から、あれから1日が経過していたのだとわかった。


今まで何百年とこの地に在ったが、命日以外の日に目が覚める事など一度もなかった。


「何故・・・命日でも、ねぇのに、俺は・・・」


小十郎は呆然と呟いていた。

命日どころかもう目覚める事もないかと思っていたのに、まさかまた現で政宗の姿が見られるなんて、予想もしていなかった。


「命日?ああ、そこの墓の奴だったら、坊さん達は今日が命日だって言ってたぜ・・・?」


それが本当ならば、昨日がイレギュラーな出来事だったようだ。

昨日は、政宗が墓に触れたおかげで目を覚ませたということなのだろうか。


「今日じゃないのか?」と小首を傾げた政宗の揺れる髪から雫が滴り落ちる。

そこでようやく頭が冴えて、はっとした。


「!雨に濡れてしまいます」

「Ah?ああ、でもアンタの方がびしょ濡れだぜ?」

「俺は体を悪くする事もないので心配ご無用」


傘を持っていない政宗を、とりあえずの凌ぎにと杉の大木の下へと招き入れる。


葉が茂っていないせいで完全に雨を避ける事はできなかったが、他に方法もなかった。


「あんたも傘、持ってねぇのか?だったら、もっとこっちに寄れよ」


小十郎は政宗と距離を置くように立っていたので、先ほどと変わらず全身に雨を受けていた。


「いえ、俺は・・・」

「体が強いのかなんなのか知らねぇけど、風邪ひく時は誰だってあるだろ」

「・・・・・・」


小十郎の身体は実体がない為、肩でも触れあおうものなら、生きている人間ではないと気づかれてしまう。

それはさぞ薄気味の悪い思いをさせてしまうことだろう。


小十郎は慎重に距離をとりながら、木の幹を挟んで反対側の枝の陰に入った。


「・・・ま、いいか」


一瞬訝しげな顔をされたが、すぐにいつもの態度に戻る。

そんな政宗に、小十郎は気になって仕方がなかった事を問いかけた。


「あの・・・ここへは何故?」

「Ah〜、今は自由行動なんだよ。今日の夕方には帰るんだけど」


確か政宗は、せっかく遠くに来たならば色々見て回りたいと言っていたはずではなかったか。

それを、寺と墓そして大木の杉を囲むように茂る林しかないここに、何故もう一度やってきたのか。


「他に行きたい所が浮かばなかったんだ。
 ここの墓の人間の命日が今日って聞いてたし、そしたらもう一回あんたもここに来るかもなって・・・」

「・・・・・・」

「おかしいか?でもアンタだって十分おかしいぜ?二日連続で墓参りにくるなんてよ」


自分で、会えるかと思ったから来たと言う癖に、居たら居たでおかしいと言い切る政宗の傲慢さを懐かしいように感じて、思わずくすりと笑う。

すると、笑っている小十郎を見て、


「やっぱりアンタ面白い」と言って、ニヤリと悪戯に笑いかけてきた。


「面白い、ですか?」

「ああ。昨日、旅館に帰ってからも、気になってた」

「・・・」

「一緒にいて落ち着く。普通の事話してても、話さなくて黙ってても、横に居ると思うと自然と落ち着く」

「・・・・・・」


臆しもせずに伝えてくる、真っ正面からの言葉が胸に突き刺さる。


昔は共に在る事が当たり前で、恐らく政宗が物心つく頃には既に小十郎は近くに居た。

だから、当たり前をわざわざ口に出して、どう思っているのかなど、述べられた事もなかったのだ。


「変な事言ってるってわかってるが・・・昨日鏡をみて思ったんだ」

「・・・?」


木の幹からひょいと顔を出すようにして、小十郎の瞳を覗きこんでくる。


「あんたのその目」


どくん、と鼓動を止めたはずの心臓が波打ったかのような錯覚がした。


「俺と同じなんだ」


そっと指を伸ばし、残された左目に触れようとしてくる。

優しい言葉と耳に心地よい声に、いつしか小十郎は聞き入ってしまっていた。


ぼんやりと政宗の手の行方を目で追っていたが、自分に触れてくる寸前で我に返り、慌てて顔を背けた。


「・・・っこの色の目なんて珍しくもないでしょう」

「・・・Hum、そうか?俺は、同じものに見えて仕方ねぇ。色がどうとかそんなんじゃなく、そのものに見える」


少しの沈黙のあと、反応を返さない小十郎に業を煮やしたのか、政宗は逃げ場を埋めるかのように問いを投げかけてくる。


「なあ。だったら、アンタ、俺の事知ってるだろ?」

「・・・」


試すような光を宿した目に覗き込まれても、小十郎は冷静に言葉を返した。


「いいえ。今はもう知り合いにはなりましたが、それは昨日初めてお会いしたからですよ」

「・・・」


政宗は不服そうな表情を隠さずに、首を振ってため息をつく。


「そうか」




・2・