しばらく沈黙が流れたのち、ようやく諦めたのか、重たい空気をやぶるように政宗が口を開いた。


昨日もそうしたように、日常の他愛もない話をし始める。

例えるなら、仲の良い家族が今日あった出来事を教えてくれているような感じだった。


通っている”学校”の事。

周りの友人達と出掛けた時の事。

普段の生活の色々な話を聞かせてくれた。


無防備に笑って話しかけてくる様子に、小十郎も警戒の色を解き、刹那の楽しい時間に専念する。


気がつくと、木漏れ日の隙間から、柔らかな日差しが地面に向かってのびてきている。


「雨が、止んだようですな」

「ああ」


政宗は、乾きかけていた衣服の表面を払うような素振りで身なりを整えた。


「そろそろ向かわねぇと」

「ええ・・・お気をつけて」

「有難うな」

「とんでもない。こちらこそ、貴重な時間を本当に有難うございました」


政宗は、はにかむようにして笑ったのち、くるりと背中を向けた。

一歩二歩前へ進んだところで立ち止まり、振り向かないままで呟くように言葉を投げかけてくる。


「思い出せねぇんだ・・・」

「?」

「アンタの事。俺は多分知ってる」

「っ!」


政宗はゆっくりと振り返ると、こちらの反応を見極めるような瞳を向けてくる。


「・・・・・・他人の」

「空似とかじゃねぇ・・・っ」


とぼけようとした小十郎の言葉を遮った政宗の顔は、思いの外真剣だった。


「アンタは、何か知ってるんだろ?」


射抜くような強さで二つの色の瞳に見つめられ、眩しいものを見ているような気分になり目を細める。


小十郎には、自分の正体や前世の事を打ち明ける気は毛頭なく、この決断を揺るがせるつもりもなかった。


勘の良い政宗を前に、少しの隙も見せまいと一切の表情を抑えて向き合う。


後ろを振り返る事なく、ただ前だけを見ていて欲しい。

あの頃から、政宗にはそうやって生きてもらうように、小十郎はただその為に存在すると心に決めている。


「残念ですが、お会いしたのは昨日が初めてです。きっとよく似た人を知っていらしたのでしょう」

「・・・・・・」


納得のいかないといった顔は、やがて苛立ちを含む表情へと変わっていく。


「なん・・・っで」

「・・・?」


その様子は癇癪を起している子供のようにも見えたが、見ようによっては、今の政宗の年頃よりも大人びた表情にも見えた。

苦悩する顔が、遠い日の政宗と重なる。


政宗が齢十九になろうとしていた頃だったか、ただ一度だけ想いを打ち明けられた事があった。


伊達家当主ともあろう人間が、十も上の一介の家臣に想いを寄せるなど、あってはならない。

なにより奥方にも申し訳がたたないと思ったのと、分不相応で恐れ多いと感じた。


長年仕え命を賭してでも守ると決めた主を慕っていないはずはなかった。

ずっとずっと愛していた。


けれど、想いが通じる事を望んではいなかったのだ。


一時の気の迷いであると宥めたら、顔を歪め、今まさに目の前の政宗がしているような、苦しそうな表情をしたのを覚えている。


小十郎の想いにも気がついていたからだろう。

お互い同じ気持ちであるとわかっているのに、決して譲ろうとしない小十郎に対して苛立っていたのだ。


その気になれば気持ちに応えるよう命令もできたはずだが、結局政宗は小十郎の気持ちを尊重し、主と従者との一線を越える事はなかった。


そして、今目の前の政宗もまた、小十郎が何かを隠していると気がついているのであろう。


「思い出せねぇんだ・・・忘れたら、いけないような気がするのに」


そっと自分の右目の瞼に指で触れた政宗は、心なしか手が震えているようだった。

その手をとって握ってやる事ができたら。そんな淡い考えも生まれるが、所詮触れることすら叶わない身だ。


仮にできたとしても何も生み出さない。

今を生きる政宗と、時間を止めた小十郎。

あいまみえる事はないのだから。


「・・・・・・目の前に居る俺が、全て、です。他には何もねぇ」

「・・・・・・」


態度を崩さない小十郎に、政宗は溜息をついた。


「アンタはそれでいいのか?」

「はい」


そこは素直に返事をした。

聡い政宗には、少なからず小十郎が意図的に隠し事をしていると気付かれてしまっている。


「本当に、これでいいのですよ。貴方は貴方の信じる道を」

「・・・・・・っ俺は、嫌だ」


小十郎は意外な言葉に目を丸くした。


自分の知っている政宗は、幼い頃から肝心なところでは聞き分けがよかった。

無茶をしたり羽目を外すことはあっても、小十郎の本心からの願いを無碍にすることは一度もなかった。


「聞いてるのか?嫌だって言っているんだぞ」

「・・・っ」

「アンタが良くても、俺はアンタの事を思い出さないのは嫌だ・・・っ」


声を絞り出すようにして叫ぶと、政宗は小十郎の肩口に手を伸ばしてきた。


「政宗様・・・っ」


触れられるのを避けようとして咄嗟にあげてしまった声に、互いにはっとした。


「・・・やっぱり名前知ってるんじゃねぇか・・・」

「・・・これは・・・・・・」


取り繕う言葉も見つけられず、小十郎は言葉に詰まってしまう。


「・・・う・・・」


すると、頭痛がするのか、政宗は頭に手を添えると小さく呻き、先程とは違う苦悩の色を見せる。


「・・・具合が優れませんか・・・?」

「All right。・・・へいき、だ。おい、お前に一個だけ頼みがある」

「・・・出来ることならば、なんなりと・・・」


今の自分に出来る事など、きっと何一つない、返事をしたあとに気づいて、遣りきれない気持ちになった。


「頬に、触れたい」


抗えない、そう本能で感じると、小十郎の身体は暗示にかけられたように動かなくなった。


触れられてしまったら、政宗とは違う実体のない存在であると気づかれてしまう。

触れないで欲しいと強く願う気持ちと、触れられるものならもう一度触れて欲しいという気持ちが、小十郎の身体を硬直させた。

二つの気持ちに揺れて戸惑う顔は、きっとさぞかし情けない顔だろうと思う。


拒む様子がないか確認した政宗が、壊れ物に触れるかのように、ゆっくりそっと手を伸ばしてくる。


頬傷に触れるか触れないか、なぞるように手を添えられた。

そっと、包み込むように。


「―――」


あたたかい。

 やわらかい。

    いとお、しい・・・。


政宗の手を思い描いた時、昔の記憶が駆け巡った。


そしてその、暖かくて柔らかくて愛おしい手の平が、小十郎の頬に触れていた。


「・・・っ」


実体のない小十郎にきちんと手の温もりが伝わってきたのだ。

そして、目の前の政宗が、強ばった顔をゆるゆると解くように表情を変えていく。


先程までは、正体を勘付かれてしまうのではないかと、政宗の反応を見るのがひどく恐ろしかったというのに、触れられる事が叶い、驚いて、その顔から目を逸らすのも忘れていた。


整った顔はくしゃくしゃと歪められ、なんとも形容のしがたい表情だった。


―――笑って、おられるのだろうか?


小十郎は触れあえた温もりに、瞳の奥から熱いものがせり上がってくるのを感じる。

すると、涙でぼやけ始めた視界に、竜の瞳から大粒の雫が滴り落ちるのが見えた。


錯覚かと思った。

けれど、先程雨水を髪から滴らせていた事を思い出させるくらいの勢いで、政宗の左目から涙が溢れていた。


「まさ、むね様・・・??」

「・・・ばか、やろう・・・っ」


政宗の涙に戸惑いつつも、金色の瞳からキラキラと涙が零れる様があまりにも神秘的で、小十郎は呆然と見詰めていた。


「お前は、本当に馬鹿だな」

「・・・?」

「肝心なところで、間の抜けた事をしやがる・・・」


政宗は涙を拭おうともせず、ぼたぼたと流しながら、小十郎の頬を何度も撫でた。


「お前の気持ちは有り難てぇが、俺は、こんな事望んでない」


政宗が紡ぐ言葉に、小十郎は聞き入っていた。


「お前が俺の一部になっても隣にいないんじゃ意味ねぇよ、馬鹿小十郎っ!!」

「・・・・・・っ?」


名を呼ばれたとすぐには気がつけない位自然に耳に入ってきて、政宗の記憶が覚醒したのだと気がつくのに時間がかかった。


「政宗様っ!今、なん、と・・・」


小十郎の問いには耳を傾けず、政宗はもう一度背を向けてしまう。


「俺が本当に喜ぶ事は叶えてくれないのが、お前らしいけどな。
 ・・・だが、こんななってまでも俺の前に姿を見せてくれたんだ。今度こそお前が拒む事は許さねぇ」


政宗が何を言わんとしているのかわからなかった。

表情が見えないからだ。


小十郎には、政宗が何をしようとしているのか、何を思っているのか、顔を見ていれば何でも通じる事ができた。

だから背を向けているのだと気づいた時には遅かった。


「ぐ、ぁああああっっっ!!!」


耳をつんざくような絶叫の後に政宗が膝を付き、肩から地面に倒れ込んだ。


「・・・っ?!!政宗様・・・!!!!!」


政宗の元に駆け寄ると右目を覆っていた指の隙間から血が滲みでていた。


「政宗様・・・っなんてぇ、ことを・・・っ」

「うるせ、え・・・早く、てめぇのも、ん・・・持って帰れ、・・・」

「まさか、そんな事の、ため、に・・・」


ぜぇはぁ、と、政宗の息は荒く、顔を苦痛に歪め、意識を保っているのが精一杯のようだった。

自ら傷つけた右目は鮮血に染まっている。


小十郎はあまりの衝撃的な出来事に、全て無意識の状態で身体が動いていた。

腕全体に意識を張り巡らせ、感覚を集中し、実体のないはずの身体で政宗を横抱きにすると、坂道や階段を全力疾走で駆け降りた。


政宗の右目が失われてしまう恐怖に胸が潰される思いだった。


両の目を手に入れた政宗の姿を本当に美しいと感じたし、それが自分の右目で埋められていた事に歓喜したというのに。

隻眼で不自由な思いをした分、両の目で未来だけを見て幸せに生きていって欲しかったというのに。


全ては自分が招いた結果だと、小十郎は自らを切り刻んでやりたい気持ちでいっぱいだった。

過去の象徴である自分が姿を現し言葉をかわした事で、振り返らずとも良かった過去を振り返らせ、もう一度右目を失くさせる結果を招いた。


林を抜けると、獣の鳴き声のような声にならない声で人間を呼んだ。


―――俺は何も出来ねぇ、政宗様をお止めする事もお助けする事も出来やしねぇ。存在する価値もねぇ!!!


ぺしん、と弱々しい手の平が小十郎の頬を叩いた。


「・・・っ」

「お前の価値は、俺が一番・・・、知ってる・・・っ卑下すんのは、おま、えだって、赦さねぇぞ・・・」


小十郎の頭の声が聞こえたかのように、政宗は迷いなく存在を肯定する。


「俺の望みは、わかったんだ、ろ・・・?だったらお前がする事は、ひとつ、だろ?」


政宗は意識が虚ろになりながらも、弱々しい動きで腕を持ち上げ、それに応えるように小十郎が握りしめると、掠れた声で言葉を紡いだ。


「俺は気が長くねぇん・・・だから、あまり、待たせるな、よ・・・」

「・・・っ政宗様・・・!」


小十郎は政宗の肩を抱きしめてから、そっとその身体を横たえた。

政宗の身体に触れている部分の実体化を保つのが限界だった。


「待っていて、くださいます、か・・・」

「ばぁか、早く、いけよ」


嗚咽を堪えた小十郎は、政宗の唇に自らのそれを触れ合わせると、消滅した。




・3(after)・ ※その後のお話ですが、小十郎が子供で登場しますので苦手な方は読まずに終えてください。

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