「先生、今日は機嫌がいいですね?」

「まーな」


看護士が声を掛けてくると、本当に機嫌の良い声で返事を返した。


「もうすぐじゃねぇかって予感がすんだよ」


自分の半身だからわかるのかもな、歌うような口調でそう呟くと、政宗は早く仕事を切り上げて帰りたくて仕方がなくなる。


政宗は開業医を営んでおり、小児科の医師になっていた。

今日は運良く、症状の軽い患者ばかりで来院数も少なく、定刻に帰れそうだ。


だが、最後の最後、もう受付を閉めようと準備をさせていたところに、患者の母親が慌てて駆け込んできた。

対応した看護士が診察室に入ってくるなり、緊張した面持ちで動揺をしているようだった。


「先生、向かいに越してきたお宅のお子さんみたいなんですけど、怪我をしたそうで」

「Ah?怪我?脚か?腕か?」

「それが、顔を・・・」


すぐにその子供を診察室に呼び寄せると、慌てふためく両親を落ち着けてくるように看護士に指示をした。


スッパリと迷いなく刻まれた左頬の切り傷。

看護士が動揺したのも頷ける程大きな傷で、それでもその子供自身は不気味な程落ち着き払っていた。


政宗には、それが自身で傷をつけたものだとすぐにわかった。

なぜなら、その子供は小十郎の魂を宿していたのだから。


「政宗様・・・」


十を越えて間もない位の少年は、驚いた様子で政宗の名を口にした。


幼さが残るながらも端正で意志の強い顔立ち。

両の茶の瞳は、見慣れた光を宿している。


「〜〜〜馬鹿か・・・っお前は・・・っ!」


政宗は、顔を盛大に引き攣らせて声をあげた。


「以前最後に言葉を交わした時も、馬鹿と言われた記憶がございますが・・・」


そんなに馬鹿でしょうか?と幼さの残る無知な顔で問われ、大きなため息をついた。


「なんでわざわざ頬傷をつくった?!そんなのなくても俺はそろそろお前を見つけ出せる予感がしてたのによ・・・っ」

「いえ、小十郎だと気づいてもらいやすいかと思った事もありますが、もう一度政宗様への忠誠をこの身に刻みたくて行った次第です」


およそ十歳そこそこの子供が話す口調でない。

小十郎には、以前の記憶が完全に残っているらしかった。


「ああ、もう、いらん傷増やすんじゃねぇよ、ほんとに・・・もう、ばか、やろ」


政宗は言葉が喉に詰まり、それでも早く手当をしてやろうと傷を洗い、消毒の準備をした。


「政宗様、そんなに泣き虫でしたかな?」

「うるっせぇ、お前に言われたくないんだよ!ましてやそんなチビのお前に・・・っ」


政宗は隻眼になった瞳から零れる涙を拭うと、手際よく小十郎の傷の手当をした。


「お言葉ですが政宗様。すぐに小十郎が上背を追い越してみせましょうぞ」

「〜〜〜・・・俺は、気が長くねぇんだ」

「存じております」


不貞腐れたような政宗と、落ち着き払った小十郎は姿や声などを取っ払ってしまえば、完全に以前の主と従者のようだった。


「言っておくがな、綺麗に切れてやがるから、治りもいい。傷もあまり目立たなくなるぜ」

「それは残念ですな」

「・・・いい加減怒られたいのか?おチビさん?」


眉間に皺を寄せて口元だけ笑ってみせると、「冗談です」と小十郎が笑った。


「誓いの証として傷をこしらえましたが、家族を心配させるのは不本意ですから」


そっと診察室の外から聞こえてくる母親の声を聞く素振りを見せた。


どうやら、学校の図工で使った小刀で彫り物をしようとしたら、手に持ったまま転んでしまったとかなんとか理由を言ってあるようだ。

わざわざ傷を作ってしまう行動には問題があるが、さすが子供を装っていても抜け目ない。


小十郎は手当てが終わると、椅子に座ったままの政宗の首元にしがみつくようにして抱きついてくる。


「・・・っなんだ、小十郎、まだちいせぇから甘えたなのか?」


そう言いながらも政宗は小十郎の頭と背に腕を回して抱きしめ、ついでのように丸い額にキスを落とす。


「・・・お慰めしたつもりなのですが・・・この姿ではいまいちサマになりませんね・・・」


真剣な声の小十郎に、思わず政宗は吹き出した。


確かに中身が大人の人格の小十郎だとしても、見た目はまだ子供。

20も半ばの政宗を抱きしめる姿は、ただ甘えている子供にしか見えなかった。


「全くカッコつかねぇなあ」

「すぐに、格好つけてみせます・・・」


顔を見合わせると、くすくすと二人で笑いあった。


「「もう、はなさねぇ」」


そう呟いた声はどちらのものだったか。



ようやく二人はもう一度同じ時間を歩み始めた。


どちらかが時間を止めてしまう事がないように。

見失わないように。


  同じ時の中で。




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