生徒の歩いていない校内のなんと静かなことか。
廊下に響く自分の足音を聞きながら、久し振りの職員室に向かっていた。
「片倉センセ」
後ろから軽快な足取りでやってきたのは佐助である。
ぼんやりしていたせいもあるが、寸前まで足音も聞こえなかったので認識が少し遅れた。
「猿飛・・・お前も今日出勤か」
「そーいうコト♪」
「・・・」
いやに機嫌がいいなとは思ったが、わざわざ理由を聞くでもなくそのまま職員室の扉を開けた。
「ねね、センセ。いつ遊びにいっていい?」
「は?」
「この間まさむ・・・とと、伊達ちゃんと約束してたでしょ!もー忘れちゃったの?」
「・・・ああ」
そういえばアウトレットモールで遭遇した時、そんな話で二人は盛り上がっていた。
「今は、無理だ」
「えー!」
小十郎は、思わず眉間の皺を濃くする。
「なになに?喧嘩でもしてんの??」
あながち間違えでもないような事を言い当てられてギクリとした。
「・・・とにかく、今は駄目だ」
「・・・ふーん。夏休み中には仲直りしといてよ?」
どうしてそんなに家に来たがるのかはわからないが、佐助は本当に残念そうな顔をしている。
けれど、今はそれどころではないのだ。
自分が後先考えずに、欲望のまま政宗を抱いたことで人間の姿に戻れなくさせてしまった。
勿論、責任をとってずっと政宗を養っていく事に抵抗はないし、それはそれで幸せだと思うのだが、まだ若い政宗の将来を自分が台無しにしてしまった事への罪悪感が強い。
好きな人を不自由な目に合わせたい、と願う奴がどこにいるだろうか。
いるとすれば、些か捻くれた愛情表現を抱いてしまっている者だけだろう。
事態が特殊なだけに対処の仕方もわからず途方に暮れていた。
それに追い討ちをかけるような、政宗の涙。
なにか夢にうなされているのだろうか。
そう思うと、それも自分がしでした何かが引き金ではないかと思えてくる。
だが、昨晩は聞く勇気がなかった。
政宗が何を感じ、どう思っているのかを聞いた時、自分の居場所がそこにあるのか不安になったのだ。
共に暮らす事は失敗だったと言われたら。なんて、柄にもなく臆病になってしまう。
思わぬ行動にでる政宗の事だ。
急に、出て行く!と言わないとも限らないではないか。
そこまで悶々と考え込んでしまっていると、「ホイ」と目の前にマグカップが渡された。
佐助がまたコーヒーを小十郎の分まで淹れてくれたようで、反射的にそれを受け取る。
「あ、ああ。悪いな」
気紛れな所があるが、佐助は基本的に世話焼きなのだ。
「俺で良ければ相談、のるけど?」
「ああ、問題ない」
「あらら。そ?」
苦いコーヒーを一口流し込んで、深呼吸をする。
―――覚悟を決めねぇといけないな・・・
「猿飛・・・悪いんだが」
「ん・・・ナニナニ?」
「・・・このアンケート資料だけ、まとめておいてくれねぇか」
「えええ???」
「他のはてめえでやるが、これは明日教頭に提出しないとならないやつでな」
「え、ちょ、ちょっと待って!!そういう頼り方はどうかと思うよ?!」
「恩に着る」
そう言うと、置いたばかりの鞄を再び持ち直した。
「ちょっとぉ〜!マジで言ってるのーっ??」
「今度コーヒー淹れてやる」
「ウワ。そんなの要らないよ〜」
自分で淹れた方がゼッタイ美味しいし!!と叫ぶ佐助を尻目に職員室を出て行く。
「もー!!じゃあ来週までに仲直りしておいてよ!遊び行くから!!!」
そう遠くで聞こえるが、もう走り出していた。