ひろいこ・6






小十郎の腕の中は暖かい。

思わず鎖骨の辺りに鼻を擦り寄せた。


最近耳の制御のリハビリをするべく、小十郎に密着しないよう気をつけていたせいか、触れる体温を懐かしく感じる。


どうやらキスをしたり抱きついたり、ドキドキする気持ちを感じると途端に制御が出来なくなるようなのだ。


二人きりで居ても必要以上に意識をしなければ、耳がでてしまう事もなかった。


けれど、今はそんな事どうでも良いと思ってしまう。


学校に行ったり、外出をしたりといった、日常生活に支障をきたすのは深刻な問題だが、今この時間は自分にとって特別なもののように思えるのだ。

やわやわと毛並みに沿って耳を撫でられると、ごろごろと喉がなりそうになってしまう。



「政宗、悪かった」


不意に頭の上で、囁く声。


「謝られるような覚えはねえぜ?」

「突然、帰省するとかで、色々振り回してしまっただろう」

「くくっ・・・小十郎の慌てて謝る姿を拝めたし、俺はむしろ面白かったぜ?」


それに結局こうして目の前にいる。

予定通り、今日からがスタートという事だ。


「それより、良かったのか? 帰らなくて」

「ああ。携帯で連絡した。年末には必ず顔を出すと約束させられたがな」


「そうか」


そう言って思わず小十郎に笑いかけると、一瞬の間のあとに、ぎゅうとまた強く抱きしめられた。


「俺にも耳があるならば、今でているところだな」


その言葉に、頬が熱くなる。

顔を見られたくなくて、無言で抱きしめ返した。


政宗にとって、付き合いはじめの恋人同士が体験するような甘い時間は初めての事で、戸惑いが隠せない。

らしくない、とは思うが、嫌なわけではなかった。


小十郎が腕をゆるめたかと思うと、覗き込んでくる瞳と視線が重なって。

尻尾がぞわっと毛羽立ったのが分かった。


―――Kissされんのか?!


一連の流れからしてそう身構えてしまったが、予想ははずれたようで、小十郎が政宗の分の荷物も持つとリビングへと促しただけだった。



「・・・・・・」

「政宗?どうした??早く中に入れ」

「ん・・・、おう」


急に話しかけられて、はっと我に返る。

自分は今、残念そうな顔をしていなかっただろうか。


慌てて顔を引き締めて後に続いてリビングに向かった。





**********


だが、意識すると妄想が暴走してしまって、なかなかとまらない。


今日ははじめて二人でお泊まりをするわけだ。

はじめても何も、これから特に期限を決めているわけでもない同居生活が始まるのだから、これが日常となるわけだが。


あの日、お互いの気持ちも確認した。

幾度か唇を重ねたりもした。


そして共に暮らそうとしている。


そうしたら、キスよりももっと凄いことをしてしまうのだろうか?


今になってはじめて、そんな事を考えてしまったのだ。


一緒に暮らす、という楽しみばかりに目がいって、細かい事は全く考えていなかった。


「政宗、どうした?今日はやけに大人しいな」


やや呆然とした面持ちで物思いに耽っていたようで、小十郎が心配そうに覗きこんでくる。


「いや、なんでもねえ!・・・スーパー・・・行ってくる」

「なら俺も行」

「No thank you!今日はいい!お前は荷物とか片づけちまえよ」


慌てて凄い形相をしてしまったようで、小十郎が目を丸くしていた。

足元にあった旅行用カバンと政宗を交互にみつめている。


「わかった。じゃあ気をつけて行くんだぞ」


そう言うと、ごく自然に財布をそのまま渡された。


「あ?」

「もってけ。食費」

「いらねぇ、俺も貯金とかちょっとあるし」

「馬鹿野郎、俺には気を遣うな。お前が自分で稼げるようにでもなったら飯でも奢ってくれればいい」


有無を言わさず握らされて、玄関で落とした帽子をすっぽりかぶせられた。

悔しいが大人の男の貫禄を見せられ、変に食いつくのも恥ずかしく思えたので、素直に言われた通りにする事にした。


「政宗」

「ん?」

「いってらっしゃい」

「!・・・行って、きま、す・・・」


くるりと踵を返すと、脱兎の如く速さで玄関を飛び出した。


なぜ挨拶だけでこんなにも照れてしまうのか。


こういう“日常”が一番幸せなのだ、と政宗はわかっている。

今までは平気なフリをしていても、やはりごく普通の“日常”に憧憬を感じていたのだ。




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