小十郎は前を歩く政宗の背中を複雑な思いで見詰めていた。
「その・・・政宗様」
「Ah〜?」
政宗は楽しそうな足取りで、夜の道を歩いている。
「道、わかるんですか?」
「わからねぇが、わかっちまうんだ」
「・・・?」
くるりと振り返った政宗は、小十郎の方を見ながら今度は後ろ向きに道を進む。
「こいつの身体の中にある気配みたいなもので、感じ取るくらいはできる」
「・・・不可思議な事もあるものですね」
戦国で暮らしていたはずの政宗が、現代の政宗とさほど変わりない振る舞いで違和感なく現実に溶け込んでいるのは、本当に不思議だ。
駅につけばなんとなく券売機に行くし、切符を買って渡してやれば改札もくぐる。
けれど、その目は興味深そうにあちこちに視線をめぐらせて輝いていて、そこが決定的な違和感であり、政宗との違いであった。
「何笑ってんだ?」
「いや、気配で感じる記憶とやらは、便利なものだと思って」
こちらの表情の緩みに気付かれてしまったようで、いつの間にか政宗は小十郎に向き直っていた。
「こっちの世界のお前は、よく笑うんだな」
「そ、そうですか?」
小十郎は表情豊かな方ではないし、顔つきから怖がられる事も多いというのに、随分珍しい指摘だった。
一度夢でみた昔の自分は、確かに今より更に物騒な顔つきだった気もする。
それに比べたら、こんな自分でも“よく笑う”などという表現になるのだろうか。
「お前は、ほとんど前世の記憶がねぇんだろ?」
すると、政宗が覗き込むようにして声をかけてくる。
「ええ・・・申し訳ない」
「謝る必要はねえよ。そもそもお前はあの丸薬を飲んだわけじゃねぇんだ。それは俺が決断した結果でもある」
地下のホームに響くように短い警笛が鳴り、鉄の車体が滑り込んでくる。
目の前で扉があくと、政宗は気持ち慎重に電車に乗り込んだ。
「昔のお前は、ほんっとうに小言がうるさくてよ」
「はい」
「いっつもここに皺寄せてやがる」
つい、と政宗の指が、小十郎の眉間に触れて、すぐに離れていった。
その距離感にさえ違和感を覚える。
政宗は、自分の気持ちを打ち明けずに生涯を送ったと話していたから当たり前の事かもしれないが、現代の政宗と恋人同士でいる小十郎からしたら、やはり余所余所しく思う。
距離感を計りかねながら電車に揺られていると、最寄駅までの距離はあっという間だった。
「まったくこんなカラクリ・・・“電車”ってすげぇな」
降りて近くに人がいなくなった途端に政宗が感嘆の声を挙げた。
周りの人間に不審に思われないように口を噤んでいたのだろう、またあちこち見回しては至極楽しそうに話しはじめる。
とても戦国時代の武将だなどとは思えないくらいに無邪気で、やっぱり小十郎の顔には自然と笑みが浮かんだ。
地下鉄の長いエスカレーターから地上へとでると、周りの景色に気をとられていた政宗の身体が前のめりに傾いだ。
「おわ・・・っ」
「政宗様!」
危なっかしいからと、先導するように前に立っていて正解であった。
降り口で危うく転びそうになった政宗の身体を支え、軽々抱き寄せ、事なきを得た。
「Thank you」
自分のはしゃぎように恥ずかしくなったのか、政宗は目を伏せて苦笑いをする。
「色々珍しいのも当然でしょう。俺が誘導しますから思う存分景色を堪能してください」
そっと政宗の手を繋ぐと、小十郎はゆっくりと歩き始めた。
「お、おい・・・!」
「はい?」
慌てた様子の政宗に、振り向き気味に視線を合わせると、困ったような怒ったような顔をしている。
「この時代は特に、野郎同士で手ぇ繋ぐとかあんまりねぇだろ?」
「まあ珍しいかもしれませんが、駄目という事もないでしょう。それにほとんど人気もありませんし」
そういうものなのか?と言いながらも政宗はそのまま手を振りほどくことなくついてくる。
そして少しすると、またキョロキョロと辺りを見回し始めた。
「あ、てめぇまた笑ってやがるだろ」
「ばれましたか・・・」
「小十郎、てめぇ馬鹿にすんな!」
くすくすと笑うのを止められないまま、手を繋いでゆっくりと歩いてマンションに向かう。
自販機でジュースを買ってやったり、コンビニに寄って幸村に頼んでいたはずのアイスを買ってやったり、歩道橋にのぼって道路を眺めたりと、政宗に付き合って時間をかけて歩いた。
「小十郎。“公園”も寄るぞ」
「はい」
きっとまた無邪気に笑っているのだろうと、振り返り視線をやると、政宗は寂しげな表情をしていた。
「・・・政宗様?どこか具合悪いですか?」
「No」
政宗は、短く返事をすると、ジャングルジムに登って一番上で腰をかけた。
その様子を下から見上げていると、上ってくるように合図をしてきたので、仕方なく隣まで行く。
「政宗様、これは子供が登るところで・・・」
「でも、登ったら駄目っていう決まりはねぇんだろ?」
少しだけ視界が広くなり、政宗は視線を遠くにやってポツポツと話し始めた。
「俺は、なんで“政宗”と中身が一緒じゃねぇのかって考えていた」
小十郎は、頭の中で政宗の言葉を反芻して意味を汲み取った。
佐助は完全に記憶を持ったまま現代を生き、身体は変わっていても、昔も今も“猿飛佐助”という中身に変わりはない。
けれど政宗は、今の政宗と、昔の政宗、二つの人格に完全に分かれてしまっている。
記憶を共有していているだけのような状態だ。
きっとそういう意味の事を政宗は言わんとしているのだろう。
「それに、“小十郎”は何処に居る?」
「・・・?」
誰にともない苛立ちが政宗を覆っているようだった。
すなわち、戦国の世で自らの腹心であり、一生をかけて愛した男である“小十郎”の事を言っているのだろう。
「俺が“小十郎”の生まれ変わりなのは間違いないだろうから、猿飛と同じように俺が“小十郎そのもの”なんじゃないかとは思うのですが・・・」
「・・・Hum・・・」
納得のいかないように、訝しげな顔で見詰めてくる。
「貴方の“小十郎”の気配はしませんか?」
政宗は自らの腹を親指でとんとん、と指し示した。
「・・・わからねぇ。お前は、こいつの“小十郎”なんだって事しかな」
呟かれた言葉は、何故だか小十郎の胸に棘を刺した。
政宗は、小十郎の様子には気付かず、淡々と言葉を紡ぐ。
「お前に気持ちを告げなかった事を後悔してるわけじゃねぇ・・・
だが、折角伝えてもいい時代になったっつうのに肝心のあいつがいねえんじゃな・・・」
その顔は、先程までのはしゃぎようが嘘のように、憂いを帯びていた。
「ああ、悪ぃな、別にお前を責めてるわけじゃねぇぜ。望みどおり俺と・・・
つうかコイツと、仲睦まじくやってくれてるみてぇだしな」
「・・・・・・」
小十郎は次第に息苦しさまで感じてきた。
政宗の声は聞こえているけれど、どこか気持ちが沈んで意識が曖昧になっていくような感覚がする。
「ただ一言くらい、あいつに言ってやりたかった。・・・まあ未練たらしいな」
政宗は自嘲気味に笑うと、気持ちを切替えるように明るい声をだした。
「もう少しして、腹ん中のコイツが起きたら、多分俺はいなくなるだろう。
まあ、そしたらお前と結ばれる運命っつうわけだから、宜しく頼むぜ」
政宗の軽口を遠くに聞きながら、小十郎は意識が失われていくのがわかった。
ぐらり、と身体から力が抜けて、重力に引き寄せられて横に大きく傾いた。
「っ小十郎・・・っ?!」
地面に肩や頭を強く打ち付け、それを他人事のように感じながら、完全に意識が失われた。
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・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・。
真っ暗になったと思ったのは束の間で、小十郎は光の中に身を委ねていた。
―――ここは、何処だ?
まさかジャングルジムから落ちて、あっさり死んでしまったのかと血の気が引いた。
『おい』
―――??!
『こっちだ』
―――??誰だ?
どうにか重たい頭を動かして声の方に視線をやると、そこには人影があった。
強い光で顔は見えないが、問いかけずとも、それが誰なのかはわかった。
『全くあのお方は、今の身体と分離してしまうなんて無茶な事をして』
―――・・・過去の俺、なんだな?
『そうだ。俺とお前はひとつの存在だ』
―――政宗様は?なぜ政宗と分かれてしまってるんだ?
『さあな。あの方は無茶をされる方だ。どうしても納得のいかねぇ事でもあったんだろう』
―――・・・。
小十郎の心に、納得のいかない事とはひとつしか思い浮かばない。
―――お前も、何か納得できなくて俺と分離してるのか?
『納得ができないんじゃねぇ。あの方が二つに分かれてしまった。だから俺も分かれた。理由はそれだけだ』
―――なあ。だったら、政宗様の願い、叶えてさしあげろよ
『・・・・・・恩に着る』
今ならばわかる。
政宗が眠って“政宗様”だけが分離して表にでてきたこと。
きっとお前も、“政宗様”の願いを叶えてやろうって思ったんだろう。