ひろいこ・20

※小政じゃない性表現がうっすらありますので苦手な方はご注意ください。






それから幾つかの晩が過ぎた頃。

丸薬にまつわる運命の歯車が回り始めた。




佐助は暗い暗い木々の間をすり抜けるようにして、枝から枝へと跳躍し、ひんやりとした空気を纏う地まで辿り着いた。


十分自覚している。


これは自分の独断であり、この行為は当の本人の最も望まない事であると。

けれど、これが自分に出来る、大切な人を守る術(すべ)。


いつの間に給料分以上の働きをするようになったんだか、と自嘲を口元に表した。


―――悪いけど、独眼竜の旦那には死んでもらう


佐助は誰にともなく決意を胸に刻み、同盟を結んだ奥州の伊達軍筆頭である政宗のもとへ向かっていた。




幾日か前。

いつものように稽古に付き合わされて消耗しきっていた佐助に、幸村がこぼしたのだ。


『政宗殿と今一度お手合わせ願いたいものだ』


別に嫉妬をしたわけではない。

佐助の稽古では足りないと、幸村がそう言いたいわけではない事もわかっている。


ただ、あの竜と剣を交えたい。

そう思って口にしただけ。


伊達政宗が、幸村にとって生涯の好敵手であるという揺るぎのない事実である。


以前のように敵国同士であったならば別段諫める事もないのだが、今の幸村の立場なら話は変わる。


政宗は同盟を結んだ国の一国の主。

もしも当人同士が稽古だと銘打って勝負をしたとしても、あれだけの力をぶつけ合う真剣勝負ならば、手を抜く事などできない。

一瞬の油断が命取りとなり、力が互角の二人であれば、どちらかが大怪我をしたり命を落とす事があってもおかしくはないのだ。


幸村には自分が、そして対する政宗にも右目と呼ばれる片倉小十郎がいる。


互いが傍に控えている時であれば命の危険は回避されるかもしれないが、もし万が一、幸村が政宗に重大な怪我をさせる事があったら、当の本人ではなく周りが黙っていないだろう。


同盟は覆され、安寧が全て無に帰する。

そうなれば幸村の処分は、腹を切る事以外にあるだろうか?


勿論、当人達も、今の自分の立場を百も承知ではあろうが、もしひとたび剣を交えてしまったら、本能のまま真剣勝負へと身を投じてしまうのではないかという危うさがあった。


それならば何かが起きてしまう前に、元凶である政宗が、どこぞの忍びに暗殺されこの世から居なくなればいい―――。



「・・・一人で自室に居てくれてるみたいだね」


佐助は、心の端に闇が灯るのを感じていたが、構う事なくそれを無視した。


天下だの、好敵手だの、知ったことではない。

一番大切な人が生きにくくなるような存在は、自分が排除するまで。

暗い光を宿した瞳を細め、一際高くそびえる木から目的の部屋を見詰めていた。





**********


政宗は床に就く前に、ぼんやりと丸薬の木箱を手の中で弄んで、物思いに耽っていた。


一対の鬼の丸薬は、実はもう一揃えある。

小十郎に隠していたわけではなく、今日も松永の宝を物色しに宝物庫へ行った時に見つけたのだった。


つまりは、こっそり飲んだとしても替えがあるのだから誤魔化しがきく。

そう思った途端に、またこの丸薬に対して執着してしまう自分がいた。


「もしばれたら、小十郎は・・・怒るだろうなぁ」


溜息まじりにぼやいた。


ざわざわざわ・・・


外で木々が僅かにざわめく気配がしたかと思うと、闇に混ざるような気配が間近に迫ってくるような圧迫感に身構えた。


「・・・っ何の用だ・・・?武田の忍び・・・」


政宗がその闇の気配に呼びかけると、途端にそれは目の前で男の姿になる。


「ちょいとお邪魔しますよ」

「・・・なんの用だ?直接俺の部屋に上がりこむとはいい度胸だな」


政宗の問いかけにも、佐助はただじっと瞳を覗き込んでくるのみで口を開こうとしない。


「なんとか言ったらどうだ。俺を殺りにきたんだろう?忍び一匹とは、随分舐められたもんだなぁ?」

「・・・・・・まさか。ちょっと隠密に贈り物があってきただけですけど?」


ようやく口を開いた佐助は、飄々とした様子で僅かに口端を引き上げた。


「竜の想い人」

「・・・What?」


思わぬ言葉に、政宗は不機嫌な声になる。


「まさか・・・、そういう趣味があったとは、ちょっと意外だね」

「・・・・・・」


デタラメを言って惑わせようとしているのかとも思ったが、確信に満ちた表情から、その場凌ぎの戯言とは思えない。

先程、覗き込まれていたのは己が心の内だったのかと思うと、はらわたが煮えくりかえった。


この忍びには読心術の心得もあったのだろうか。

忍術の中には、薬で一時的に読心術を高めるものもあると聞いた事がある。

そういった物を利用すれば、心の内を占めている人物の探りを入れる事くらい、造作もないのかもしれない。


事実であれば、誰にも知られてはならない気持ちを暴かれた事になる。


「ちょっとは面白え話でも聞けるかと思って、簡単に返り討ちにするような事までは考えていなかったんだがな。
 気が変わったぜ。・・・あんたはここで、死にな」


ぎらり、と眼光を鋭くさせて手にした刀をゆっくりと引き抜くと、佐助が落ち着いた様子でそれを制した。


「まあまあ、そう急く事じゃないでしょう。気に触ったなら謝るけど、そもそも贈り物を献上しにきたわけだからね」


ぶわりと風が吹き上がったと思うと、佐助の立っていた所には、小十郎の姿があった。


「・・・こじゅう・・・ろ・・・?」


政宗は目を丸くして、その姿を見やる。


頭では佐助の変わり身の術であると分かっているのに、心がついていかない。

中身はともかく、外見は見劣りする事なく小十郎そのものだったのだ。


「あんた・・・何がしてぇ?」

「何度も言ってるじゃない。これは同盟の・・・まあ、真田の旦那の、今までの無礼への侘びとでもいいましょうかね」


声も小十郎のものであるが、その軽い口調は佐助のままである。


見慣れた、けれどそれでいて想って止まない男の姿を目にしたせいか、無意識に緊張の糸が解けてしまった政宗は、一瞬の間に佐助に腕を捻り上げられてしまった。


「随分、ご執心なんだね。急に大人しくなっちゃって」

「・・・って、めぇ・・・」

「隙でもつかないと、俺に竜の旦那を押さえつけるなんて無理だからね、勘弁してよ」

「どき、やがれ・・・!」


いつの間にか捻りあげた手首を床に叩きつけられ、馬乗りになられていた。


「だから殺すなんてできるわけないって自覚してるし、そもそも俺様に竜の旦那を殺す理由なんてないでしょう?
 折角の同盟だもの。敵は少ないに越した事はないってね」

「随分説得力のない言い訳だなあ?」


乗りかかられた屈辱に顔を歪めていると、佐助が言葉を続ける。


「まだ疑ってるの?つまりはさ、こういう事、しにきたんだよね」


そういうと、反対側のあいている手を使って、政宗の夜着の合わせ目に指を這わせてきた。


「・・・!てめぇどういうつもりだ」

「お願いがあってきたんだよね。これはその対価ってわけ」

「願いだと?」


話をしながらも、巧みな佐助の指が政宗の肌を滑っていく。


「真田の旦那の相手。もうしないで欲しいんだよね」

「・・・それはあいつが言った事か?」

「まさか。そんな事言わないってわかってるでしょ」

「だろうな。じゃあなんだ。てめえの願いかよ」

「当然でしょ」


聡い政宗は、それだけで佐助の心の内が読めた気がした。


「へぇ。あんたもいい趣味してんじゃねぇか」

「・・・独眼竜の旦那と一緒にしないでくれる?俺のはこういう欲望とは違うものでね」

「Ha。どうだかなあ?」


佐助の指に翻弄される事なく気丈に振る舞う。


「どうでもいいが、あんたと閨事なんてしたくもねぇ。いい加減その指へし折るぜ?
 真田との事も機会があれば剣を交える。他人にどうこう言われる筋合いはねえ。俺達はそういう宿命なんだよ」

「・・・まあ、想像はしてたけどね」


政宗からの返答を聞くと、小十郎の顔をした佐助は溜息をついて指を止めた。


「さっさとどきやが・・・、・・・っ?」


政宗が異変に気付いたのは、力を込めて佐助を撥ね退けようとした時だった。

己の身体には力が込められる事なく、痺れたような感覚がする。


気がついた時には遅かった。

一過性のものであるだろうが、痺れ薬の霧が部屋に充満していた。


「匂いのあるものだとすぐ気付かれちゃうと思ったから、無香の効果が弱いものだけど。
 身体を任せてもいいって思うくらいの強さではあるでしょ?」

「なん、だと?」


まさか伽の続きをされるとは思っていなかった為に、政宗は目を見開いた。


「まあ、雰囲気も大事だよね」


ニッコリと佐助が笑んで一息吸ったかと思うと、纏う空気がガラリと変わった。


「・・・政宗様」

「!!」


耳元で囁かれた声は、小十郎のそれであった。


息遣いや声の低い所も全てが小十郎のもののようで、政宗はぶるりと身震いをした。


「それ以上・・・小十郎を愚弄する気なら・・・。うっっ」


忠告を遮るように、佐助の熱い舌が耳を這っていった。

ぴちゃりという水音に、本能的に背中がぞくりと感じてしまう。


「政宗様、この小十郎に、一時の思いをぶつけてみてはいかがですか?」

「なん・・・、んっ」


耳たぶを甘噛みされて、低い声で囁かれ。

政宗は本能を呪った。


腹に熱が溜まってくるのがわかる。


「考えを改めてくださらないかも知れませんが、俺もこのままでは帰れませんので」

「その口調、やめ、ろ・・・」


小十郎の姿、声、口調までも似せられては、欲望に拍車がかかってしまうだけだ。


「小十郎には、想いを打ち明けてくださらないおつもりなのでしょう。でしたら、今ひと時だけでも」

「・・・」


別人だとわかっている。

だが痺れ薬の影響か、頭の中に靄がかかったかのように考えがまとまらない。


倦怠感に苛まれ、身を委ねてしまった方が面倒ではないと訴える身体。

それと同時に、小十郎への想いが成就したような錯覚すらしてくる始末だ。


「・・・・・・」

「もう、話すのも面倒になってしまわれましたか?」


沼に沈むような感覚がする。


夢の中で小十郎と会っているのだったか。

はたまた自分が作り出した偽物の小十郎の幻と向き合っているのだったか。


どちらにせよ、この偶像とひと時の間身体を寄せ合う事になんの躊躇いがあるだろう?

どうせ夢ならば、好きに身体を繋げて欲望をぶつければいい。




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