「ち。 馬鹿馬鹿しい」
小十郎は、放課後の職員室で小テストの採点をしていた。
「片倉先生?」
声をかけられて顔を上げると、同僚の猿飛佐助が両手にマグカップを持って立っていた。
「なーにが馬鹿馬鹿しいんです?」
コーヒーの入ったカップの一つを渡される。
顔が笑っているから、からかわれているのだろう。
口に出していたつもりはなかったのに、面倒な奴に聞かれてしまった、と内心面倒くさく思っていた。
佐助は年下ではあるが、この高校には小十郎よりも前からいるので、割と態度も大きくて。
赴任して間もない頃からよくちょっかいを出されていた。
何が楽しいのか人の話を聞きたがるタイプの人間で、この高校で小十郎に臆せずに物を言ってくる数少ない教員の一人だ。
「いや、こっちの事だ」
「珍しい事もあるもんだねー。 片倉先生の独り言なんてさ。もしかして、恋煩いだったりして」
「・・・馬鹿言ってるな。 俺は今忙しいんだ」
「はいはい、退散しますよ」
軽いやり取りをかわして、飄々と佐助が自分の席に戻っていく。
どうやら今日は佐助も居残りをしているらしい。
「・・・猿飛 コーヒー。いつも悪いな」
「どういたしまして」
背中を向けたまま、ひらひらと手をふっていて返事をされた。
恋煩い?
馬鹿馬鹿しい、を通り越して腹立たしくもあった。
政宗と会ったあの夜から、2週間がたっていた。
最初の数日は、それこそ恋煩いと言われれば、そうかもしれないと思えたかもしれない。
表面にはださないよう気をつけていたから、勘が良すぎる佐助以外にはばれていないだろうが、実際かなり落ち込んでいたのだ。
連絡先も住まいもわからないし、近所とは言っていたが、もう二度と会えないかもしれない。
政宗はそんなものを聞く猶予などくれなかった。
だが、会いたい。
会って確かめたい。
こんなに心を占領している理由を。
時間がたつにつれて、むかむかと腹がたってきた。
―――かき乱すだけかき乱しやがって
頭の中は政宗の事ばかりで集中力がおち、仕事が滞るばかりだった。
他人の事でこんなにペースを乱されるのは初めてだ。
ましてやよく知りもしない相手だというのに。
気がつけばまた、採点の手が止まってぼんやりとしてしまっていた。
―――もう今日は切り上げるか・・・
コーヒーを啜りながら荷物を纏めていると、少し離れた席の佐助と目が合う。
「あれ。片倉先生、帰っちゃうの?」
「ああ。来客があるの忘れててな。残りは家でやる」
「ふ〜ん。恋煩いの相手?」
口実とはいえ、もっとうまい理由を考えるのだった。
これではからかってくれと言っているようなものだ。
「・・・親戚だ」
「まー、仲良くやってねー」
「・・・・・・」
佐助の軽口から逃れるようにそそくさと職員室を後にした。
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帰り道、コンビニの角に通りがかると嫌でも考えてしまう。
また政宗がいるんじゃないかと。
「まったく、どうしちまったんだ俺は」
いっそあの時出会ってなければ、こんなわけのわからない思いをしなくても済んだのに、とすら思えてきた。
自分では身動きのとれないような状況に、もやもやした感情を放棄したくなる。
「・・・頭、痛いのか?」
眉間に指をあてて目を軽く瞑っていると、不意にかけられた声に固まってしまった。
「・・・政宗?!」
コンビニの角に立っていたのは元凶、張本人だった。
「・・・Ah―・・・その・・・また、邪魔してもいいか?」
「あ?・・・ああ」
もし会う事があれば文句の一つでも言ってやりたい、なんていうのは実際に会ったら引っ込んでしまうもので。
とりあえず、この正体不明の気持ちを確かめるチャンスがきたのだと、少し心が軽くなった。