その昔。

日本の各地で、天下をとろうとする武将が立ち上がっていた群雄割拠の戦国時代。

政宗は、東北に位置する奥州から天下を目指していた一人だった。


幼い頃に疱疹にかかり右目を失明してからは内向的な性格となり、実の母からも疎まれ、跡継ぎは無理であろうとして、寝食を屋敷の離れでする事を余儀なくされていた。

その頃、父輝宗から仰せつかって、小十郎が傅役としてやってきたのだ。


小十郎は乳母である喜多の弟であったし、輝宗の小姓を務めていた為に前から知っていた。

言葉を交わしたのはほんの数回であったが、堂々とした佇まいの男子で、こっそりと見た稽古姿は、幼い政宗―――当時は梵天丸という名だった―――からみても、強く凛々しいもので、秘かな憧憬を抱いた。

その小十郎が傅役となれば、本来喜ぶべき事であろうが、梵天丸の胸中は真逆だった。


家から疎まれ、家臣からも不気味な目でみられるような自分に仕える小十郎は不幸だと感じたし、なにより惨めな自分の姿を知って欲しくなかった。


以前は憧れていた存在だったからこそ、可愛さ余って憎さ百倍、とはよく言ったもので、半ばヤケになっていた梵天丸は、徹底的に小十郎を拒否した。


小十郎が用意した食べ物なら手をつけない。

小十郎が指南するなら稽古も受けない。

小十郎が外で待っているというなら部屋から一歩もでない。

小十郎が部屋に入ってきたら屋敷の中の隠れ場所に逃げた。


今日も、右目の包帯を替えましょう。と小十郎がやってきた。

「いらぬ!」と叫び自室から飛び出して、小十郎の知らない隠れ場所へと全力で走った。


後を追われてない事に安堵しながら、隠れ場所へと身を潜めた。

そこは厩の横にある、物置であった。


中には馬の餌となる草や、湯をつくる為の薪などが積まれている。

たまに人が入ってくる事もあったが、奥の片隅にある薪の陰に潜んでいれば気付かれることはなかった。


息を整えると、定位置に身を屈めた。


「早く・・・傅役でなくなればいいんだ・・・あんな奴・・・」


声に出して呟くと、自分の声が涙声である事に気がついた。


本当は、素直に甘えたい。

この家で自分はただひとつの異端であり、安らぎは何一つない。


母が弟の竺丸に愛情を注いでいる事も、竺丸を時期当主にと考えている家臣が多い事も知っている。

実際、このまま離れに暮らす事を受け入れ静かに生きていれば、必然的に弟が当主になるのはわかっていたし、そこに未練はなかった。

だがそれでは、自分に仕えている小十郎はどうなるのだ。

幼いながらも理知的であった梵天丸は、小十郎の身を案じていたのである。


最初こそ、自分の置かれている状況を知られてしまった事への恥ずかしさから、小十郎に八つ当たりをしてしまっていたが、今はもう事情が違った。


早く違う任について自分から離れて行ってほしい。

けれど心細さから素直に甘えてしまいたい。

頼りにしたい。

信じたい。


相反する気持ちの中で苦しんでいた。


もし小十郎が受け入れてくれたとしても。

信じ、親愛を向けた後に、母のように遠ざかってしまったらと思うと、恐ろしくて心を開くことなど出来なかった。


一度愛情を裏切られた梵天丸は、猜疑心の塊となっていたのである。


結局、色々な懸念が胸の中を渦巻き八方塞になった梵天丸は、知らず知らず涙を溢れさせていた。


「このままじゃ、こじゅう、ろうが・・・」

「小十郎が、どうかしましたか?」

「・・・っ!」


気配を感じなかったのに、涙でゆらゆらとした視界の中に小十郎がいた。


「お、お前、なぜここがわかった・・・!ここは梵天の・・・!」

「ええ。いつも隠れていらっしゃる場所ですよね」

「!」


目の前の小十郎は困ったように笑むと、「存じておりましたよ」と一言だけ言うと、梵天丸の身体を抱き上げてその腕で包み込んだ。


そのような触れあいは物心ついた頃からされた事がなかったので、驚きのあまり固まってしまい、抵抗も忘れて目を見開いていた。


「小十郎は、梵天丸様の傅役となれてとても嬉しゅうございますよ」

「!」

「強く、心優しい梵天丸様の事は前々から、よく存じ上げておりましたし」

「・・・馬鹿な事を申すな・・・強くも、優しくも・・・ない。お前が一番わかっているだろう!」


首元に顔を埋め涙を滴らせながらも、梵天丸は癇癪を起こして喚く。


「そのようにご心配いただかなくとも、小十郎は傅役の任を光栄に思っているのです」

「っ!」


小十郎は、梵天丸が心配していた事を既に解っていたようだった。


「心優しくも強く在ろうとするそのお姿、感服の極みではございますが、小十郎にだけは少しお痛みを分けてはくださいませぬか?」


小十郎の声は心地よくて、身体を包み込んでいる体温の温かさと共に心の中に染み渡るようだった。


「・・・ど、どのようにしたらいいのか、わからぬ!」


頭の中を整理する余裕もなく言葉にすると、小十郎が今度は嬉しそうな笑みで顔を覗きこんできた。


「そのように、思った事感じた事を小十郎にはおっしゃっていただければ良いのです」

「そんなことで・・・?」

「ええ。きっと心が軽くなってくださいます」

「・・・だが、その分小十郎が痛くて重たくなってしまうのではないのか?」


心につかえている重い鉛が軽くなるなら願ってもいない事だが、小十郎が変わりをもつというのであれば話は別だ。


「いいえ。梵天丸様が打ち明けてくださって少しずつお気持ちが楽になれば、その分小十郎も嬉しい気持ちになるのですよ」


梵天丸は、素直には信じる事が出来なかった。

誰も辛くならずに物事が解決するような摂理はない、と既に世の中の理を悟っていたからだ。


けれど、やはり幼く未熟だった為に、気持ちを通い合わせる者同士であれば、まさに小十郎の言うように一方の辛さを半減させる事ができる、という考えまでには至らないのである。


「・・・そんな事、信じられぬ」

「すぐに信じなくても良いのです。小十郎はずっとお傍におりますゆえ」


そう言うと、もう一度ぎゅう、と胸の中に抱きしめてくれたのであった。





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「・・・話がそれまくったな」


政宗は頭を掻いて自分の話しを反芻しながら、溜息をついた。

一方の小十郎は、話しに聞き入って感動しているのか、少し目が赤い気がする。


「惚気たいんだったら後にしてくれると・・・助かるんだけど・・・」


そこで、一人外野だった佐助が、疲れた声を出した。


「うるせえ。だったらとっとと真田と共に眠っちまえよ」

「俺も当事者だから話は聞かせてもらうよ」


首をコキコキと鳴らしながら、佐助は続きを促す。




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