パチリ、と瞼を開けた。
辺りは薄暗く、月明かりが障子を透けて差し込んでいるので、辛うじて部屋の間取りが分かる程度。
虫のしらせのように何かを感じ取って、すぐさま傍らに置いてあったズシリと重いものを手に携える。
―――ここ、どこだ?
小十郎は、自分が何処に居るのか、何をしているのかわからなかった。
わかるのは、自分と良く似た男が物騒な日本刀のようなものを構え、辺りの気配を探っているような仕草。
小十郎は、その男が自分なのか、はたまたその男の様子を端から観察しているだけの存在なのか、はっきりとした事はわからない。
けれど、その男の様子をみていると、自分の存在に気付いていない事は確かだ。
『忍びが入り込んだか・・・?』
男は、小十郎と同じ声―――いや、少しだけ低いだろうか。
ただぽつりとそう呟くと、部屋からするりと抜け出して、足音も立てずに、けれどかなりの速度で長い廊下を移動し始めた。
小十郎の視点は、いつの間にかその男の背中を追いかけていた。
見た感じはそっくりであるが、自分の意志とは関係なくその男は行動をしている。
―――これは夢、か
そこでようやくその可能性に辿り着いた。
小十郎は、普段夢を見ている最中に“これは夢だ”と気付くことはほとんどなかったが、今目の前で起こっている事はあまりにも非現実的で、自分の存在は空気のような、目で見えないものだという事が理解できた。
長い廊下は立派な日本家屋で、殺風景ながらもどこか由緒ある、大層な屋敷だという事がわかる。
周りの風景を観察しながらも男の後を追っていると、ある部屋に近づいた所で、より一層速度を上げた男の背中から、焦りが直接流れ込んでくるように感じた。
『政宗様!!』
空気を揺らす程の気迫のこもった声音で男は叫ぶと、躊躇いもなく目の前の襖を開いた。
小十郎は、頭が混乱していた。
男が叫んだ名は、自分の恋人である“政宗”
そして目の前の非日常的な光景。
襖の中の広々とした部屋の中には、男が二人。
政宗と、もう一人は佐助であった。
政宗が夜着のような和服に対し、佐助は闇に溶けてしまいそうな暗い迷彩柄の衣服に、物騒な鎖帷子や篭手を纏い、腰には大袈裟なほど大きい武器のような物を括りつけている。
二人は、“現実”の中に存在している二人と、瓜二つである。
少しの違いといえば、小十郎とよく似たこの男にも言える事だが、どこか肝が据わり何かそれぞれ強い意志を心に抱いているような、同じ3人であって、そうでないような存在であること。
そして、佐助は男の姿を確認すると、やれやれと首を振った。
『俺様、仮にも同盟を結んだ国の忍びだよ?殺す気満々でこないでよね、右目の旦那』
そうぼやいた佐助の言葉に、再度男の方に意識をうつせば、その重量のある刀で居合い切りを繰り出すような、低い姿勢をとっていた。
政宗は夜着のまま、その二人を観察して、ニヤリと笑んでいる。
その足元には、小さな陶器の入れ物の蓋が外れ、中身がこぼれて畳みに歪んだ染みを作っていた。
甘ったるくもツンとする匂いは、何かの毒薬だろうか?
『同盟が聞いて呆れるぜ。狙いは俺の首だったんだろ』
政宗は可笑しそうに笑って物騒な事を口にする。
『!てめぇ・・・』
それを聞いた男の方は、みるみる鬼の形相に変わり、一瞬の間ののち佐助を手刀で突き飛ばしていた。
体重をのせた重い一撃でよろめかせ、政宗との距離を開けさせると、その勢いのまま流れるような動きで刀を首の横に突きつけていた。
佐助はその衝撃にも呻き声をあげる事なく、瞬きもせずに男の次の行動を待っている。
『待て。小十郎』
小十郎―――。
自分と同じで名で呼ばれた男は、佐助の動きを封じたままで、政宗の言葉に耳を傾ける。
『真田の忍びには、それ相応の罰を与えてある。そのまま逃がしてやんな』
『政宗様・・・っ?!しかし・・・』
本当にその刀で佐助の命を奪おうとしていたようで、“小十郎”は納得のできない様子でいる。
『Don’t worry 小十郎。もう二度とこんな真似はしねぇだろうよ』
『・・・・・・』
政宗の言葉に、“小十郎”は渋々、佐助の首から刀を退けた。
『・・・甘いね。ここで殺しておいた方が良かったんじゃないの』
『・・・・・・政宗様』
佐助の言葉に、再び“小十郎”は刀を持つ手に力を篭める。
『挑発だ。乗るんじゃねえ』
凄んだ声を出す政宗からは抗う事のできない強い力を感じ、ここに存在しない自分に言われているのではないと分かっていても、どこか気の引き締まる思いだった。
『・・・殺してやらねぇよ。それがあんたへの罰だ。せいぜい足掻くんだな』
『・・・・・・』
佐助は政宗の言葉に、憎悪の瞳で睨みこんだ後、ふ、とその瞼を閉じ、次の瞬間には、黒い羽が幾重にも佐助の体に渦巻いていく。
『俺様の運命を狂わせた男・・・恨むよ、独眼竜の旦那』
『待ちやがれ!!』
“小十郎”は、命を奪う為ではなく身柄を確保する為だろう、素早く佐助の肩口めがけて峰打ちの構えで刀を繰り出す。
だが、今しがたまでそこにあった存在は跡形もなく消えうせ、黒い羽だけが辺りを舞って刀は空を切った。
『No problem、気にするな小十郎。あいつはもうこねぇよ』
『政宗様・・・ご無事ですか?お怪我は・・・』
そこで傍観者である自分も、“小十郎”も、政宗の様子に気がついた。
夜着の前が少し肌蹴て、覗いている白い肌には、数箇所の鬱血の印。
『・・・・・・』
『もうあいつの気配はこの地にはない。わかるだろ?もう戻って休め』
“小十郎”の視線を避けるように背中へ回り込んで、部屋から追い出すようにぐいぐいと押しやっている。
背中にいる政宗からは見えないであろうが、“小十郎”の顔は憎悪に燃え、噛みしめた唇からは薄皮が破れ血で赤く滲んでいた。
そして部屋の境までくると、不意に政宗が“小十郎”の背中を抱きしめ、囁く。
『あいつを見かけても、殺すなよ?』
当然、実態のない自分の体に抱きつかれているのではないが、“小十郎”を通して、政宗の体の体温が異常に熱い事がわかる。
頭の血管が破けるような錯覚を覚えていた。
目の前のひっそりとした紺碧の空とは対照的に、目の前が紅く紅く染まっているように感じる。
そう感じているのが自分なのか“小十郎”なのかはわからない。
だが、その様子を微塵も見せる事なく、“小十郎”は部屋と廊下の境でくるりと向き直り、跪いて『失礼致す』そう一言口にして頭を下げたまま襖を閉じたのだった。
ぴしゃりと襖を閉めたのちに、政宗がたっていただろう位置を襖ごしにゆっくりと見上げた“小十郎”の表情が、どんなものだったかはわからない。
ただ、自分の心が、向ける先のない嫉妬や憎悪で埋め尽くされている事だけがわかった。