そして夜が更けた頃、小十郎は部屋の戸の前にやってきた。

すると、また苦しそうな声が聞こえてきたのだ。


「梵天丸様・・・」


今夜は大丈夫だろうと思っていたが、予想ははずれていた。

この様子だと、毎晩のように梵天丸はうなされているのかもしれない。

だから眠るのが嫌で頻繁に遅くまで起きているのだろうか。


小十郎は、静かに部屋の中に入り込んだ。


室内は、梵天の発する苦しげな息遣いに満ちている。

今日は一際苦しそうに思えて、胸が痛くなった。


―――どうしたものか。今度こそ起こした方がいいのだろうか


だが、一度起こしたらまた寝付けなくなってしまうかもしれない。


傍に座したまま葛藤していると、またほんの少しだけ梵天の様子が落ち着いてきた。

もしかしたら、人の気配を無意識に感じているのだろうか。

傍にいる事でうなされずに眠れるというのならば、いくらでも傍にいる、そう心の中で思った。


―――この小十郎、いつ如何なる時も、梵天丸様と心は共に在ります


思いが流れるようにと、そっと頭に触れて優しく撫でてみた。


すると、眉間に寄っていた皺ものび、ようやく普通の呼吸に戻ったのである。

やはりいくら大人びていても、まだまだ甘えたい年頃。

愛情のこもった触れあいも足りないのだろう。


しばらく撫でていると、その手に縋るようにして梵天丸が手を伸ばして触れてきた。


「はは、うえ・・・?」

「・・・!」


ゆっくりと開いた瞳はしばらく朦朧としていたが、徐々に焦点が定まっていき、完全に覚醒した時には、暗闇でもわかる程に顔面を朱に染めて目を見開いた。


「こ、小十郎?!」

「はい。酷く、うなされておりましたが、お体苦しくはありませぬか」

「それより、その、今のは・・・」


小十郎の手を掴んだまま勢いよく起き上がった梵天は、珍しく動揺して慌てている。

母と呼んでしまった事を恥じているのか、取り繕う言葉を探して頭を抱えているようだった。


「よいのですよ」


宥めるように再び頭を撫でてやると、おずおずと身体にしがみついてくる。


―――お母上様の代わりにはなれねぇが・・・少しでも気持ちが落ち着いてくださればいいが・・・


小十郎は、優しく、でもしっかりと梵天の小さな身体を抱きしめた。


「違うんだ、こじゅうろ・・・」

「?」

「母上の代わりではない」

「・・・!」


口に出してもないのに、小十郎の思っていた言葉を言われて、気持ちを読まれたような気分になった。


「こじゅうろう」


梵天は動揺したせいか、小さな鼓動は可哀想になるくらい早鐘を打っている。

落ち着かせるように背と頭を撫でて、身体を密着させたままにした。


「恐ろしい夢をみたのですね。鼓動がお早い」

「・・・っお前も、早い」

「・・・?」


言われてみたら、確かにそうだった。


「梵天丸様が心配でしたので、小十郎も取り乱してしまいましたな」

「ふん・・・梵天はもう大丈夫だ」


そして、安心をさせたいのか、同じように小さな手で背中をさすってきて、小十郎の心を温かくさせた。


「こじゅうろ・・・」


何度か名前を繰り返し呼んだかと思うと、徐々に身体の力が抜けて小さな寝息が聞こえてくる。


「眠ってしまわれたか」


その寝顔は安心したように無防備で、思わず頬ずりをするように触れてから寝具に横たえた。


その日を境に、梵天の部屋からうなされる声が聞こえてくる事はなかった。

相変わらず、頻繁に月を眺めて夜更かしする癖は減らなかったのだが。



「梵天丸様!何度言えば薄着をやめてくださるのですか」

「厚着すると煩わしいからこのくらいが好きなんだ」

「風邪を召されてからでは遅いのですぞ」


そうして、今夜も羽織をかけてやった。


「お前の羽織はなんでこんなにあったかいんだ?」

「何故といわれましても・・・小十郎は身体が大きいからですかね」

「なんだそれ。大きさとか関係あるか」

「でしたら、梵天丸様を心配する心が伝わって温まってくださるのですかな?」


少し悪戯に笑ってみせると、ぷい、とそっぽを向かれた。

否定してこないところを見ると、その意見に賛同してくれたようである。


あれから、あの晩の話しは一度もしていなかった。

覚えているかどうかも危うかったし、覚えていたとしても梵天の性格を考えれば、「恥」と考えている可能性も十分あるので触れていなかったのだ。


「なあ、小十郎」

「はい?」

「夜、よく眠れるようになったんだ」


その言葉は、つまりはあの晩の出来事を覚えているという事。

まさか梵天の口からその話題をだしてくるとは思っていなかったので、内心驚いていた。


「それは良かった。よく眠る事ができれば、剣の腕もぐんぐんあがりましょう」

「ああ。すぐお前に追いつくからな」


いつぞやも口にしていた勝気な言葉だ。


「それで、だ」

「?」

「お前の、おかげだと思っている。心配をかけて済まなかった」


噛みしめるように、ゆっくり紡がれる言葉はまるで呪文のよう。

小十郎を幸せな気持ちで満たす呪文だ。


「梵天丸様がお強いからです。小十郎は何もしておりませんよ」

「・・・感謝している。お前に褒美を取らせたいんだ。何か欲しいものはないか?」

「とんでもない。小十郎は梵天丸様がお元気でいてくださるならそれが一番の幸せにございます」

「そういうのはいいんだ。梵天が何かやりたいって思うんだから。父上に頼んでなにか用意していただく」


梵天丸は気が治まらないようで、なおも問いかけてくる。


「でしたら、小十郎は梵天丸様から直々に頂きたいものが」

「・・・梵天から?俺が用意できるものなんてほとんどないぞ?」

「いいえ。梵天丸様しか持っていないものです」


梵天は隻眼をあちこちに動かして、何を言わんとしているのか考えているようだった。


「とにかく、言ってみろ」

「は。どうかこの小十郎に、梵天丸様の笑ったお顔を見せて頂きたい」


口をぱくぱくとさせてから、梵天の頬は熟れた木の実のように赤く色づいた。


「本当にお前は変な奴だ!」

「梵天丸様のその笑顔を、皆見たがると思いますぞ」

「戯言を申すな。梵天がもしこの家で必要とされる時は、跡取りとして申し分のない男子となった時だ」


頬を緩めたままで面白そうに梵天は話していたが、す、と顔を引き締めて言った。


「厳格な、父上のような立派な男子とならなければならない。へらへら笑っているわけにはいかぬのだ」

「梵天丸様」


笑顔を見せない理由は、立派な息子であると皆に認めてもらう為だったのか、と気付かされた。

小十郎は、少し躊躇いがちに梵天の頭を撫でた。


「そのような事をせずとも、梵天丸様には人を引きつける力がおありになる。笑いたい時は笑っていいのです」

「そう、なのか・・・?」

「ええ。梵天丸様が聡明であられる事は疑いようのない事実。でしたら周りなど気になさるな。
 梵天丸様は、存分に思うがままにしていれば良いのです。この小十郎、何処までもお供致しますぞ」


少し難しい顔をして考えていた梵天だったが、表情をくるくると変えて、笑った。


「小十郎が言うなら間違いはなさそうだな」


今宵の月の満ちた光に照らされているせいか、梵天丸の顔いっぱいの笑顔は眩しくて、目を細めるようにして小十郎も笑ったのだ。





**********


「え?ちょっと待ってくださいよ、小十郎様!」

「つまりは、えーと・・・」

「今筆頭が自由気ままな男前な性格になったのは小十郎様が原因ってことッスか?!」


青い着物に甲冑姿の兵士達は、次々に小十郎に話しかける。


各自持ち寄った酒で小十郎をもてなすようにして、畑の近くで小さな宴会さながらの井戸端会議が行われていた。

伊達の兵士は、若き筆頭に心酔しているものも多く、小十郎の畑を手伝う機会などにはこぞって話しを聞きたがるのである。


「さあな。それから随分活発になられたが、それが本来の政宗様の性格だったと思っているが」


「またまたーそうやって結局ノロけたかっただけなんじゃないスかー!」

「筆頭の小さい頃ってすげえ可愛かったんじゃないですか?今も奥州一の美人といえば筆頭!スからね!!」


そう話しを振られれば、部下の前ではいかつい表情ばかりしている小十郎の頬も心なしか緩んでくる。


「そりゃあ当然だ。俺らと同じ人間とは思えぬお姿で、名に違えぬ、御仏のような・・・」

「Hey、小十郎」


背後から凛と通る声がして、その場にいた者はぴたりと動きを止めた。


「政宗様!何故このような所に?」


噂の張本人である政宗が腕組みをして立っていたのだ。


「お前の事を探してた」


上質な着物を少し着崩すような姿は、戦場での荒々しい政宗とは違い、その雅な佇まいを一言で表すならば“美しい”だろう。

戦や稽古場で見かける政宗と違う姿に、兵士達は皆ただただ見惚れていた。


「おめぇら、聞きたい事があんなら直接俺に聞きやがれ」


ドスの聞いた声で我に返った兵士達は、慌てて、すんませんした!!と散り散りに走っていくのだった。


「兵達は貴方を慕って、よく話しを聞きたがるのですよ」

「・・・わかってる」


むす、としたまま政宗は踵を返して元来た道を歩いていく。


「政宗様!小十郎になにか用があったのではないのですか?」


慌てて後を追いかけるが、政宗はこちらに顔を向けないまま不機嫌に呟いた。


「後で俺の部屋こい。湯浴みしてからな」

「・・・!」


そしてすたすたと先に戻ってしまったのだった。




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