鈍感ダーン・後篇






こんな日に限って、伊達の主要な家臣達が集まり、政宗と夕餉を共にする席が設けられた日だった。


幾分混乱から立ち直った小十郎は、政宗の行動を割り切って解釈しようと決意していた。

恋愛が成就なり何なりで決着がつけば、政宗の情緒も安定して、戯れに口付けを命じる事などなくなるはず、と考えたのである。


多感な年頃なら誰しもおかしな行動をしまうものだし、これも思春期の成長の一環だと思えばどうという事はなかった。


時期がくれば落ち着いて、また元の主―――いや、元よりも成長した主となる。

そう言い聞かせて、二度も唇を触れ合わせてしまった事は記憶の底に封印する事にしたのだ。


完全に小十郎の中では、政宗がどこかの娘に恋をして、その影響で色恋事全般に興味を示しているだけと思い込んでいて、自分の方に好意が向けられている事には全く気付いていないのだった。



夕刻早々に始まった夕餉の席は、政宗もいつも通りの態度で小十郎は内心ほっとしていた。


食事が済み、ゆったりと酒でも呑んで寛ぐという雰囲気になれば、面々知れた集まりでもある場は思ったよりも砕けたものとなった。

政宗が酒の席は好きに騒げ、という無礼講が好きなせいもあるだろう。


「つ・・・」


各々会話を楽しむ姿を眺めていた政宗が、不意に唇を押さえたのが見え、小十郎は思わず声をかけた。


「政宗様、先の傷が痛みますか」

「いや、腫れてやがるせいでうっかりまた噛んじまった」


見ると、出血こそしていないがうっすら赤く染まっている。


口付けの一件があるので、この話をぶり返したくはなかったが、主の傷を見て見ぬふりはできなかった。


「でしたら酒をもう一口呑んで傷を洗うと良いでしょう」

「No。もう酒はいらねぇよ。昨日も呑んじまったからな。そんなに強くねえの知ってるだろ?」


酒に弱い自覚はあったのか、と少しおかしくなってくすりと笑った。


「ええ。昨日は戸の近くで眠ってしまわれていましたな」

「・・・Ah?」


そこで政宗が目を見開いたことで、小十郎はしまった、と思う。


昨日の事は覚えていないようだから、部屋に行った事も、聞かれなければ言う必要はなかったのだ。


「お前、昨日部屋に来たのか?」

「は。・・・部屋の戸が開いておりましたので寝付けないのかと声をおかけしたところ・・・戸をあけたままで眠っておられました」

「それで・・・?奥まで運んでくれたのか?」

「・・・は。申し訳ありません。勝手に部屋に入るなど・・・」

「んな事はどうだっていい。大体前はよく入ってたじゃねぇか」

「それは・・・まだ政宗様がお小さい頃の話でしょう・・・」

「小さかろうがそうじゃなかろうが俺は俺だ」


政宗は不貞腐れたような声音で、なおも呟いた。


「・・・夜、全然来なくなったよな」


夜とは、日課のように様子を見に行っていた頃の事を言っているのだろう。


「!覚えておられたのですか。・・・懐かしいですな、あの頃はよく月を眺めていらした」

「月だけを見てたわけじゃねえよ」

「え?」


あの頃の政宗は、飽きもせずに天を仰ぎ月を見ていた。

その姿を何度もこの目で見たが、他にも何かを見ていた様子はなかった。


「俺はお前が思っている程、餓鬼じゃないぜ?」


政宗が、す、と顔を近づけて囁いてきた。


「今宵、俺の部屋に来い」


突然の耳打ちに呆然としていると、政宗はさっさと部屋の面々に軽く声をかけ、自室に戻ってしまった。

控えていた小姓が慌ててついていく足音も聞こえる。


座したままの小十郎の頭の中には、取り残された言葉がぐるぐると回っていた。


これではまるで閨の誘いではないか。


―――政宗様は気が多いのか・・・?


小十郎は眉間の皺を一層濃くして考えこんだ。

もともと興味のある事に貪欲な人だから、色恋に目覚めたらそちらも気が多くなるのは不思議な事ではないのかもしれない。

呆れて頭が痛くなりそうだった。


それに、急に大人ぶって部屋に誘うなど、はしたない。

これが本当にただ共に酒を呑むだけの誘いならばいいが、本当に閨事の誘いだとしたら、じっくり説教が必要だ。





**********


「Hey、小十郎・・・お前、本当に色気のない奴だな」

「・・・は?」


政宗の部屋を訪れた小十郎は、寛いだ着物でもなく、先程顔を合わせた時よりも更にぴっちりと合わせ目を閉じ、いっそ禁欲的ともいえる出で立ちだった。


「まあ、stoicな所が逆にそそるって考えもあるか」


一方の政宗は、すっかり前も肌蹴させ着流しの状態で色気すら感じる。


「・・・政宗様・・・そのようにだらしのない格好で・・・これが小十郎ではなく違う男の前だったら危険ですぞ・・・!」


早速、閨絡みの発言と察知した小十郎は説教を始めた。


「OK。お前の前でだけなら、問題ねぇだろ?」

「・・・問題あります」


小十郎は近づいてきた政宗の着物の襟を正して、肌蹴た胸元をきっちりと仕舞う。


「て、め。この状況でなにしやがる」

「政宗様、そのように大人びた行動はまだお早いんじゃありませんか?」

「・・・俺はもう十八だ」

「小十郎からすれば十も若い」

「それはいつまでたっても変わらねぇ事だろうが」

「ですから、このような場に小十郎をお招きする事がそもそも・・・」

「Shut up!!」


むう、と膨れて面白くなさそうな顔の政宗は、きっちりと正座した小十郎の膝に乗ってくる。


「・・・甘えるにはもう大きな年だと存じますが」

「An?」


そこで小十郎は、以前も思った事をとうとう口にした。


「最近は随分大人びてご立派になられたが、小十郎の前では未だに甘えておられる。それを見る家臣に示しがつかないでしょう」

「・・・あくまでも子供扱いしてたいってわけか」


政宗がげんなりとした顔で首を振った。


「これだけ待ってやってもその気にならないお前が悪いんだぜ」

「・・・?」


言葉の真意を量りかねていると、政宗は躊躇いもなく唇を重ねてきた。


「政宗さ、ま!」

「さっき口付けしたら我慢できなくなっちまった。責任とってくれるんだろうな?」

「・・・あれは口付けではなく、手当てと申したはず」

「あんな手当てあるかよ・・・」


手当てだと命じたのは政宗だというのに、真っ向からそれを否定される。


「・・・それに、昨夜政宗様から口付けをしてきたのがそもそも一番最初ですぞ」

「What?・・・あれは夢じゃねぇのか・・・?」


政宗が寝惚けていたのは明確で、それをいいことに当初はその事実をなかった事にしようと思っていたが、理不尽な言われようについ口を滑らせてしまった。


「・・・そうか。てっきり夢の中の出来事かと思ってたぜ。なら、もう俺の気持ちはわかってんだろ?」

「・・・・・・?」

「今朝は夢だと思ってたが、それでも随分気分が良かったんだぜ。まさかrealだったとはな」


そう言う政宗の頬はほんの少し紅潮していて、小十郎は慌てた。

真に受けて、自惚れそうになる己を叱咤する。


政宗は昔から、たまに危うい発言をするのだ。

一家臣である小十郎に対し、全てを委ねるような甘えるような、恋仲の二人がしそうな会話をする。


気持ちに微塵も気付いていない小十郎は、これをことごとく聞き流して過ごしていたのだ。


もし自分ではなく他の者に対してもこのような態度をとったら、その者は有頂天になり、政宗に襲い掛かりかねないとまで考えて、さっと血の気が引いた。


「政宗様!今日という今日はきっちり説教をさせてもらいますぞ」

「Ha?!なに怖ぇ顔してんだよ!なにをどうしたら今そういう雰囲気にもってけるんだお前は!」


「大体政宗様は、人を無意識に惑わせる癖がおありな事を自覚していただきたい!」

「・・・無意識じゃねぇし」

「!ではわかっていて誘惑をしているとでもおっしゃるか」

「当たり前だろ!」

「!!・・・そのようなふしだらな・・・そもそも、もう少し節操を持っていただきたい!」

「男相手に節操とか気にすんな!石頭!!」

「男。そう、小十郎は男ですよ!男を誘惑するなど言語道断。惚れた娘の事だけ見ていらっしゃればいいものを」

「・・・?惚れた娘ぇ?なんの話だ」

「・・・・・・?」


散々薄明かりの部屋の中で言い合った二人は、ようやくお互いの違和感に気付く。




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