「終わった!終わったぜ!!綱元!」
政宗は、書の束を取りに来た綱元に向かって、歌いだしそうな調子で伝えた。
「全て片付いておりますね。さすがは殿です」
にこり、と綱元は目を細めて微笑む。
そして束の中身を確認しては丁寧に纏めていく。
「なあ、綱元、小十郎見なかったか?」
「景綱でしたら・・・」
そう言って部屋の外に視線をうつすと、丁度小十郎が部屋の外に座した所だった。
「政宗様、小十郎に御座います」
「丁度いい所に来たな!小十郎」
「は」
何が丁度良いかはわかっていない顔をしていたが、すぐに綱元に視線をうつした。
「兄上。いらしていたのですか」
「もう下がらせて頂くところですよ」
「いえ、邪魔をして申し訳ありません。ご報告だけですのでお気になさらず」
そう言い放ち、政宗の方に向き直る。
「政宗様、以前よりつくらせていた兵士の新しい武具が完成したと連絡がありまして、明日、僭越ながらこの小十郎が精度を確かめに行って参ります」
「!もうその準備進めてたのか?」
「ええ。早いに越したことはありませぬ。大量に作らせ、ここまで運ばせる時間もありますから」
「Hum、そうだな。確かにその件はお前に任せておいたが・・・お前、視察に行って昨夜戻ってきたばっかりじゃねぇか。他の奴に行かせたらどうだ?」
「いえ。自らの目で確かめたいものですから」
伊達軍にとって必要な事だとはわかっているが、ようやく政務がひと段落したところだ。
何も今でなくても良いではないかと思ってしまう。
浮かれていた気持ちは一気にしぼんでしまった。
「・・・それ、どれくらいで戻ってこれんだよ」
「?・・・道中新しい鉄砲も確認して参りますので七日程でしょうか」
完全に盲点だった。
目の前の仕事が終われば、小十郎との約束が待っていると思い込んでいたが、多忙な小十郎と予定を合わせていなかった事に気がついた。
「そしたら、約束はどうすんだよ」
「約束・・・で御座いますか?」
小十郎が悪いわけではないと頭ではわかっているが、楽しみにしていた分不満を言わずにはいられない。
七日八日もしたらまた自分の政務も溜まってくるだろうし、留守にしている間小十郎の仕事はますます増える一方で戻ってからも暇はないだろう。
「出掛けるってやつ」
「ああ、それでしたら、政宗様の政務の進み具合で、明日か明後日には行けるようにと手配してあります」
「あ・・・?」
「供は、成実殿と兵士が5名程ですが、宜しいですね?」
一瞬小十郎が何を言っているのかわからなかった。
自分はてっきり小十郎と二人で出掛ける約束をしたつもりでいたのに、どこでどう擦れ違ってこうなったのか。
「お前は、最初から行かないつもりだったのかよ」
「小十郎ですか?そう、ですね・・・。今はやらねばならぬ事が立て込んでおりますので・・・」
恨めしく低い声で言うと、ようやく小十郎も事態を飲み込んできたようで、表情を固くした。
「防具の件は私が引き受けても構いませんよ?」
見かねて口を出してきたのは綱元だった。
「兄上!なりませぬ。この件は私が責任を持って」
自らがやると決めた事を他人に任せて放り出すなど、小十郎ならば絶対にしないとわかっている。
だからこそ、一緒に出掛ける事は無理なのだと思い知らされて余計に腹が立った。
「うるせぇ、もういい!お前は結局俺の事なんてどうでもいいんだろ?!」
「な・・・!政宗様?!」
「もう傅役でもねえし、お守りなんざ他の奴をあてがっとけばいいとか思ってんだろ!!」
「!何を仰せか!・・・これはお家の為に必要な事!」
「だから俺じゃなくて伊達の為だろ!」
熱くなって捲くし立てる自分を、頭の奥で冷静な目で見ている自分もいた。
小十郎は伊達の為に、寝る間もない程忙しく駆け回っている。
褒め称えて当然なところを、自らの感情で怒鳴りつけるなど愚かだ。
けれど一旦あふれ出てしまった不満は、心にもない事ばかりが口をついて出てしまう。
「もういい、お前なんか・・・っ」
「殿!!」
「・・・・・・っ」
「・・・・・・」
普段穏やかな綱元から想像できない厳しい声が響いたので、はっと動きを止めた。
そして、じわじわと頭の中に焦りが広がる。
―――今、俺は何を言おうとしていた?
「景綱、一旦下がりなさい。殿、宜しいでしょうか?」
「・・・ああ」
「・・・っ・・・失礼致します」
有無を言わさぬ綱元の声音に、政宗も小十郎も、言われた通りにした。
小十郎が部屋を出て行ってから、政宗は未だ呆然としていた。
“オ前ノ顔ナンカ見タクナイ”
あの時綱元に止められなかったら、そう叫ぶところだった。
「綱元・・・すまねぇ。熱くなりすぎた」
「いえ。無礼な物言いをして申し訳ございませんでした」
実際言葉にしなかったとはいえ、その険悪な気持ちは伝わってしまっているだろうから、言わなかったから良かったと手放しに喜べるわけではない。
けれど、それでも、言わずに良かったと思う。
誰より大切に思っている相手に、酷い言葉を言わずに済んだのた。
すると、綱元が再び柔らかく笑った。
「随分前の事になりますが、景綱は“政宗様離れ”をしろ、と家老達に口を酸っぱくして言われていた事があるのです」
「・・・俺離れ?」
つい最近、似たような事を自分も言われたが、小十郎も同じ事を言われているとは意外だった。
「そうです。“政宗様が元服してから傅役ではなくなったというのに、べったりとお傍を離れようとしない”そう言われておりました」
「Ah?なんだソレ!」
「ええ、景綱も大層腹が立ったようでしてね」
『政宗様のお傍に居て何が悪いのですか?!右目となり生涯お守りする覚悟!傍におらずにどう守れとおっしゃるのか!』
自分は成実にからかい半分で言われただけだったが、立場の違う小十郎からしたら、本気で心無い言葉として浴びせられたのかもしれない。
そう考えたらはらわたが煮えくり返りそうだった。
「誰だ、そんな事言う奴!小十郎は俺の右目だ。隣に居て当然だろうが」
「ええ、左様です。ですが、小十郎が殿から与えられている信頼や待遇は、一般的に考えれば身に余る程のもの。周囲が妬むのは致し方のない事でございましょう」
「そんな事ぁ」
「だからこそ、政宗様の隣に居る為に必死だったのでしょうね」
「・・・?」
「景綱はお家の為になる事、つまりは殿の為になる事をそれまで以上に自らが引き受け、誰にも『政宗様の隣に居る事』に文句を言わせないよう、実力でねじ伏せたのです」
「あ・・・」
確かに、ぼんやりとは理解していた。
皆が昔から今のように小十郎を認めていたわけではない事。
「・・・悪かった、綱元・・・小十郎が俺の為に尽くしてくれてる事は、よくわかってんだ。さっきはカッとなって思ってもねぇ事言っちまったけどよ」
誰より忙しくしているのは、他ならぬ政宗の為。
それなのに先程の自分の態度はどうだ。
ち、と舌打ちをして目を伏せた。
「わかってくださっていると、小十郎も感じていましょう」
「・・・小十郎と話がしてぇ。呼んできてくれねえか?」
すると綱元は、
「私に良い考えがあるのですが、まずそれをお聞きくださいませぬか?」
と悪戯を提案するような面持ちになった。