竜の棲み






奥州の冬は、雪が深い。

すっかり屋敷も町も雪に覆われて、見るものは白に埋め尽くされていった。


政宗の部屋に火鉢を追加する為に、小姓が部屋の外から声をかけたが、中にいないようで返事がかえってこない。

今日は政務で一日部屋に篭りきりだという話しであったのに。


それを聞いた小十郎は、政宗を探して屋敷内を歩き回っていた。

幼い頃から仕えているせいか、居場所を探し当てるのは得意である。



「Shit・・・さ〜みいぃ」


程なく、ズズ、と鼻をすすり、ぐるぐると首に襟巻きをした政宗をみつけた。


「政宗様、しゃきっとなさいませ!」


後ろから声をかければ、なにやら悪戯の対象をみつけた子供のようにきらきらと表情を明るくさせるのだ。


「Nice timingだぜ、小十郎!」

「?なんですか?」

「あっためろ!」


政宗は、小十郎の羽織の中に入ろうとして、ぐいぐいと脇腹に頭を突っ込んでくる。


「ま、政宗様!!」


小さな身体の子供ならばともかく、どう頑張っても物理的に無理である。


それでも強引に身体を滑り込ませようと、二人羽織の要領で、背中に回ろうとしはじめた。


「政宗様!そのような所に入れるわけがないでしょう!」


小十郎は入り込んでくる政宗を力任せに剥がすと、当然ながら雷をおとした。


「何しやがんだ、今ちょっとあったかかったってぇのに!」

「少しはお立場を考えて、みっともない真似はお控えなされ!!」


すぐさま距離をとり、近寄ってくればすぐに突き飛ばすという構えをしてみせる。

すると政宗は、ようやく諦めたようでむくれて部屋へ戻っていった。


―――まさかこれをやる為に部屋から抜け出してきたのか


小十郎は、すぐに火鉢の追加を持って行くように小姓に伝えたのだった。



陽がでていたのは僅かな時間で、あっという間に辺りは暗くなる。

廊下はしんと静まり返り、時折遠くから雪の崩れる音がするのみだ。


不思議なもので、何年この地で暮らしていようとも、冬の始まりというのはふとした瞬間に物悲しい気持ちにさせられるものだ。


この季節は見るもの全てが白に染まるだけでなく、音までも奪われ、白く静かな世界となる。


いわば白の牢獄。

白が竜を閉じ込めてしまうのだ。


竜はその爪を持て余して牢獄に身を委ねている。

夏の日の生き生きとした姿を知っているだけに、時々少し不憫に感じてしまうのだ。


―――あの方は奥州だけに留まられるお方ではない。


自由奔放に振舞う政宗に小言を言うばかりだが、時には迷う事もある。


右目と呼ばれ、片時も傍を離れないと心に決めてはいるが、自分こそが政宗の足枷になるような事があれば、自らをも切り捨てる覚悟だ。


足枷―――自分自身の存在が、この奥州の白の牢獄そのもののように思えてきて、小十郎はそっと溜息をついた。


政宗を閉じ込めようとする檻―――。


「柄でもねぇ。雪が積もっちまったせいで、世迷言か」


小十郎が独り言を言うと、ふと視界に白い足がうつった。


「What?どんな世迷言だって?」


それは、まさに今頭の中を支配していた竜。政宗だった。


「政宗様!」

「手にもってるのは酒か?俺も、寒ぃから小十郎のとこ行こうと思ってたところだ」


寒いと自分のところに来ようとするというのは、一体どういう判断か問いたかったが、それを聞くよりもまず裸足の足が気になって仕方なかった。


「当たり前でしょう!そのような格好で。足袋はどうしました?霜焼けになりますぞ!」

「さっき墨をこぼしちまってよ」

「ならばすぐに替えを持たせます」


けれど、声をあげようとした小十郎を、政宗が遮った。


「No problem。替えならもう持ってこさせた」

「ならば今すぐお履きください」


はあ、と小十郎は溜息をついた。


ひとまず部屋の中に政宗を押し込めて、火鉢に足をかざさせる。

その横で、小十郎は新しい足袋を火鉢に寄せるようにして温めた。


「なあ。さっきの世迷言ってなんだよ?」

「お忘れください。冬の感傷に浸っていただけです」

「柄でもねぇなあ」

「ええ。本当に」


すると、また政宗が小十郎の脇腹から頭を突っ込んできた。


「政宗様!童にでもなったおつもりか!いい加減になさい!!」


すかさず小十郎は声を荒げる。

正直、戸惑っているせいもあるのだ。

こんな風にあからさまに甘えてくる事はここ数年なかった為、対処に困りつい反射的に怒ってしまう。


「・・・そんなに俺がくっつくのは嫌かよ」


舌打ちとともに、不機嫌な顔で布の隙間から政宗が顔を出した。


「嫌かそうでないかの問題ではありません。おわかりになるでしょう」

「わからねぇな!」


政宗は小十郎の胸を押すようにして離れると、子供のように拗ねて背を向けた。


「全く・・・どうされたのです。何か変わった事でもありましたか?」


気まぐれや多少の奇行は慣れっこだが、そういうものとはまた違う気がした。


「小十郎は冷てぇなあ。お前がこの雪を降らせてんのか?俺を寒くしてやがる元凶か?」

「・・・なにを」


憎まれ口と分かっていながらも、少し胸が痛んだ。

けれど、昼といい今といい、動揺して必要以上に強い口調で叱ってしまったのは事実である。


小十郎は、政宗の機嫌を伺うように声をかけた。


「・・・政宗様、酒が温かいうちにお飲みになりませんか?」


手にしていた酒を、政宗に見せるようにして持ち上げた。

昼の寒がりようを見て、少しでも温かく眠れるようにと気を利かせて持ってきたのである。


「・・・いらねぇ」

「そうおっしゃらずに。身体があたたまってよく眠れますぞ」

「心が吹雪だ・・・っ」


政宗は珍しく嫌味たらしい台詞を呟いて、膝を抱えてこちらに背を向けてしまった。

振り返るようにして、視線だけで恨めしそうに睨んでくる。


「困りましたな、心の吹雪は小十郎には手が届きませんゆえ、凌いでさしあげられません」


ふう、と溜息をついて困ったように笑ってみせた。

すると、ますます強い目つきでギリギリと睨まれる。


「Shit!お前しか止められねぇ吹雪だろ」


そう言い放つとぷいとまた顔を背けられた。


小十郎はしばし目を丸くしていたが、意味を考えて頭を悩ませたのちに、少しだけ距離を縮めて傍に寄ってみる。


政宗自身が、密着して温まろうと身体を寄せてきたのだから、こちらから触れても問題ないだろうか?と頭を巡らせていた。

先程政宗に問われた、触れたくないか、という質問に対しては返事を曖昧にしてしまったが、触れたくないなんてはずはない。


心から慕い、命を賭してでも守り抜くと決めた相手。

触れるのは恐れ多いと思いこそすれ、触れたくないと思うはずはなかったのだ。


きゅ、とその背中を覆うようにして後ろから抱きしめた。


「!・・・こ、じゅうろう?」


当然といえば当然なのだが、政宗は心底驚いたようで、身体が一瞬強張ったのがわかった。


「こうしていれば、温まりますか?」

「・・・お、おう」


すると、徐々に警戒を解いたのか、身体を委ねるようにして寄りかかってきた。


「確かに、こうしていれば火鉢よりよっぽどあったまりますな」

「だろ?」


少し得意気にしている政宗を、ついつい愛おしく思ってしまう己を叱咤する。


「全く、うちの殿はいつまでも童のようで」


平常心を保つように小言をこぼしながら、からかいの意味も含めて頭を撫でた。


「・・・?政宗様?額が・・・」


ぎくり、と一気に血の気がひいた。


布越しでも随分温かいものだと感心していたが、直に触れた額の温度は随分と熱い。


「Ah?ちぃと微熱があるみてえだな」

「微熱どころじゃありません!」


クワ、と目を見開くようにして、政宗の身体をすぐに横抱きにして抱えた。


「お、おい、なにしやがる!」


行儀云々などと言ってられず、奥の政宗の部屋の襖を足で開くと、既に床の準備の整っているそこに、政宗の身体を横たえた。


「自分で歩けるっつうの、お前は大袈裟なんだよ!」

「・・・ご気分は、悪くありませんか?」


政宗の威勢の良さに、僅かにほっとしながらも、問いかける。


熱を出すなんて子供の時以来じゃないだろうか。

政宗は、小さい頃こそ病弱だったものの、大きくなってからは滅多に体調を崩す事もなく、全くの健康体だった。


「別に。ちょっとくらくらする程度だ」

「すぐに薬をもたせましょう」


布団をかけ、小十郎が立ち上がろうとすると、その手を引きとめられた。


「ここにいろ」

「ええ、ですが、まず薬を」

「いい。いらねぇ。いいからここに居ろ」

「・・・」


仕方なく、再び横に腰を落ち着けた。


「さっきの、もうちょっとしてたかったのによ・・・」


さっきの、というのは暖をとる為に体を密着させた体勢の事を言っているのだろう。


「今日は、熱のせいで無意識に甘えてらしたのですかな」


ふ、と少し笑って、そっと政宗の髪を梳くようにして撫でた。


「いいか、小十郎。俺を凍えさすのも、温めるのも、右目であるお前次第だ」

「・・・政宗様・・・」


自分が足枷になっているのではないか、と少しでも不安に思った心を見透かされたように感じる。

けれど、同時に、傍にいていいのだ、と改めて言ってもらえたのだ。


「叶う事ならば、いつまでも政宗様のお傍で」


目の奥がじわりと熱く感じる。

政宗を思うが故に、自分の存在への疑問が膨れ上がり、けれどそれを鎮めてくれるのもまた、政宗だったのだ。


「Ha、気持ち悪ぃ、謙虚な小十郎なんてどうかしてるぜ」

「そうでしたかな」


思わず、二人共くすりと笑った。


「そうだ。お前はいつも小言垂れてるくらいが丁度いいんだよ」

「左様でございますか。それではお言葉に甘えて」

「・・・Ha?」

「全く、自己管理がなっておりません!このように熱がでた時は、すぐに安静にして薬を飲んでいただかなければ!」


小十郎は、穏やかな笑みから一転し眉を吊り上げて小言を言い始めると、てきぱきと政宗を布団にくるめた。

豆鉄砲をくらったような顔の政宗を置いて、ばたばたと廊下にでる。


「・・・っ!Hey、小十郎!ここに居ろって・・・」


去り際に政宗の声が聞こえたが、すぐに濡れ手ぬぐいやら、薬湯やら、着替えやらを準備して戻るつもりなので聞こえないフリをする。

今日はここで看病をする、と小十郎の方からも申し出てみようかと思っていた。



足枷でも、檻でもなく。


ここは、竜の体を包み、安らぎを与えるところ。



時には共に駆け抜け―――

  ―――時には傍らで寄り添うもの。




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